「ここに座ってください」
と言いながら、若者は丸椅子を自分の椅子の横に置いた。
夜の自習時間、彼の横に座ると、顔がほころんだ。
「会話練習ですね。君は、ベトナム人ですか。」
「はい、そうです。」
彼の隣りや前後の席で勉強している若者もベトナム人だ。
「日本人、1月1日、2日、休み、何しますか」
たどたどしい日本語で訊く。
何をするかなあ、人それぞれいろいろだからなあ。
そこで初詣のことを話す。
「神社、知っていますか。神様のところへお参りに行きます。」
ぼくは手を合わせてみせて、パンパンと柏手を打つ。
お金が儲かるように、お祈りするのですかと言うから、
「家族みんなが、病気や事故に会わないで、一年間元気でいけますように、
お願いします。ハッピーになるように。」
「幸せ‥‥」
「そうそう、幸せに生きていけるように。」
「さお、いくらですか。」
突然、変な質問が来た。
「えっ、さお?」
「はい、さお。」
「なんですか、さお?」
周りにいた若者。
「さかな‥‥」
「ああ、釣りざお?」
ぼくは竿を持って、魚を釣る格好をして見せたら、みんな笑いながらうなずいて、身を乗り出してきた。
どうして釣り竿? 思いがけない質問にとまどった。
「釣り竿の値段は、知らないねえ。安いのもありますねえ、高いのもありますねえ。」
子どものころ、釣り竿を買ったことがあるが、それは池で鮒を釣るもので、子どもの小遣いで買える安いものだった。今なら、千円から何万円、いろいろあるだろうね、リールが付いているのもあるしと言うと、
「リール、リール」
とうなずく。
訊くほどに、ベトナムの故郷の生活が現れてきて、近くの川へ毎週1度は魚釣りに出かけたという。
川の名前を言ったが、ぼくの知らない名前、
「ぼくはメコン川しか知らないよ。」
ぼくのベトナムについての知識は、ベトナム戦争のときのもの。
日本の川で、魚釣ってもいいか、と訊くから、
「少しだったらいいでしょう。魚を川に入れて大きくなったのを釣る川では、お金がいります。」
ははーん、彼らは分かったようで、ベトナムでも小さい魚を放した川で魚を釣ると罰金をとられる、自分もとられたと言った。
「日本人は、漢字をどう練習しますか。」
ベトナムでは漢字を使わない。
彼の机の上のテキストを見ると、ベトナム語と日本語が書いてある。
中国人なら漢字という共通の媒介物があるが、ベトナム人にはない。
「私たち、漢字が難しいです。」
そうだろうな。だから日本語能力検定試験1級合格は難しいという。
「日本の小学校では、何度も漢字を書いて覚えます。」
テキストの筆順練習と同じですと答える。
ベトナム人に日本語を教えるのは、難しそうだ。
テキストに、「新しい」と「新聞」とが並べて載っている。「新」を「あたら」と読んだり、「しん」と読んだり、どうしてこうなっているの?
そこで日本の漢字が1500年前に日本へ中国から伝わってきて、それに伴って音読みが日本語の中に生れ、漢字から「ひらがな」と「カタカナ」が作られていったことを説明すると、
なるほど、と少し合点がいったようだった。
ベトナムでは、1905年までは漢字を使っていたが、フランス人が入って来て、それから漢字を捨てた。
そして今の字になったという。その字はアルファベットと発音の記号をくっつけたようなもの。
「ベトナムの子どもは、3歳から字をおぼえます。」
「えっ?」
「6歳になると新聞を読めます。」
幼稚園で、ベトナム文字を覚えるという。
話すにつれてベトナムの生活と文化が、彼らからしみでてくる感じがする。
魚釣りの竿が関心事とは、中国人の青年とは違う。
お国が違えば、人も変わるなあと、思うことしきり。
彼ら、この国に3年間滞在する。いつか必ず日本の川へ行って、魚釣りをするだろう。
トラブル、起こすなよ。
「魚、釣れるかな、一日、釣り竿を垂れても釣れないこともあるよ。」
ワッハッハ、釣れるほども魚はいないからなあ。
「あした、また来てください。話しましょう。」
彼ら、おしゃべりが気に入ったようだった。