子どもの声


     声、高く響け


朝、野の道を散歩していたら、
ブルーベリーを栽培している農家から子どもの泣き声が聞こえてきた。
3歳ぐらいの子どものいる家だ。
何か激しく主張して泣いているらしい。
大人の声は聞こえない。
子どもの声は、低い大人の声よりもよく聞こえるから、
今その家で何が起こっているのか、
それとなく感じるものがある。
訴えている、訴えている。


志賀直哉の小編に「かくれんぼう」というのがある。
二階で手紙を書いていたら、外で子どもの声がする。
「もういいかあ」
なんだか間の抜けた声だと思う。
まもなく往来をひとりはぞうり、ひとりはくつで駆ける音がした。
二人は駆けながら、せわしく話している。
それが止むと、
「もういいよう」
けいきのいい声がした。
子どもたちの声を聴いていたわたしは、障子を5寸ほど開けて子どもたちの様子を眺めはじめた。


同時に見つかった二人の子どものどちらが鬼になるか、
それで一悶着が起こった。
直哉の筆はその顛末を書いていく。


子どもの声はよく聞こえる。
大人よりも甲高い。
グループで遊んでいるときは、さらにトーンが上がる。
全身で子どもは遊ぶ。
全身で声を出す。
全身で主張する。
親たちは家のなかにいても、外で遊んでいる子どもの存在をずっとキャッチすることができるように、
声の質がそうなっている。


十年ほど前になる。
ぼくは丘の上の事務所でひとり文章を書いていた。
すると遠くから子どもたちの元気な声が聞こえてきた。
声が窓ガラスを通して入ってくると、
ぼくの耳は瞬時に反応した。
聞き耳を立てる。
姿は見えない。子どもたちは遊んでいるらしい。
たぶん、二百メートルほど離れたところにあるクヌギの木に登っているのだ。
男の子も女の子も木登りが好きだった。
ぼくはその声を聴きながら幸せな気分になっていた。
子どもの声は、こんなにも幸せな気持ちにしてくれる。
子どもの声には大人の心を振動させる力がある。


列車に乗っていた。
とつぜん赤ちゃんが泣き出した。
列車の走る音だけが聞こえる室内に、子どもの声が響き渡った。
ビクンと心が反応する。
子どもの泣き声は、大人の心をそわそわさせる。
耳に着く声に心が落ち着かない。
全身で赤ちゃんは訴えている。
お父さんよ、うろたえないでくださいよ。
お母さん、感情的にならないでくださいよ。
若い父親は、赤ちゃんを抱っこして座席から立ち上がり、洗面所のほうへ歩いていった。
冷静な対応に安心した。


最近、子どもの声が低くなってきているという報告がある。
子どもの体に、何かが起こっているのか。


子どもの元気な声がこだましない街、
静かな街、
街づくりを変えようという試みもある。
まず、中心に子どもの広場があって住宅がその周りを取り囲む。
家々には、子どもの声が届いてくる。


子どもの声が届いてくる街づくり。
子どもの声が響く街づくり。