「冬の夜道」(津村信夫)

 手作りのサンタ。


      『お帰り』と言ってくれる人がいる


津村信夫は、明治42年に生まれ、昭和19年に亡くなった詩人です。
津村信夫の作った「冬の夜道」という詩を読みます。
冬の夜道というと、どんなイメージが浮かぶでしょう。
都会に住んでいる人、田舎に住んでいる人、家族のいる人、家族のいない人、
その人によってイメージが異なります。


帰るところがあるから帰ります。
「帰るところ」とは、どこ?
我が家、私の宿舎、泊まっているホテル、‥‥。
帰るところのない人もいます。
「帰るところ」には、待っている人がいる。
だが、待っている人のいない人もいます。
だから、人それぞれで、冬の夜道のイメージがちがいます。


昨日私は隣町の医院に自転車で行って、インフルエンザの予防注射をしてもらい、もうひとつ別の症状について相談してきました。
その帰り道はとっぷり暮れて、田舎道は外灯はなく、真っ暗でした。
自転車にはライトが付いていなかったので、懐中電灯を持ってきていたのですが、
電池が少なくなっていて、点けても前方は明るくならず、暗がりの中を帰ってきました。
家々に明かりが灯っています。
あの家は、あの家の家族の帰るところ、明かりが温かいです。
寒気が身にしみましたが、私には、帰るところがあり、そこには妻と愛犬とが待っています。


      ▽    ▽    ▽


     冬の夜道   津村信夫


冬の夜道を
一人の男が帰ってゆく
はげしい仕事をする人だ
それ疲れきった足どりが
そっくり
それを表はしてゐる
月夜であった
小砂利を踏んで
やがて 一軒の家の前に
立ちどまった
それから ゆっくり格子戸を開けた
「お帰りなさい」
土間に灯が洩れて
女の人の声がした
すると それに続いて
どこか 部屋の隅から
一つの小さな声が言った
また一つ
また一つ別の小さな声が叫んだ
「お帰りなさい」

冬の夜道は 月が出て
随分とあかるかった
それにもまして
ゆきずりの私の心には
明るい一本の蝋燭が燃えている


     ▽   ▽   ▽


「ゆきずりの私の心には
明るい一本の蝋燭が燃えている」
「ゆきずり」というのは、道ですれちがったり、たまたま通り合わせることを言います。
激しい仕事で疲れきった一人の男が、我が家に到着したときの光景を通りがかりに見て、
作者の心はほのぼのと暖かくなりました。


私はこんな体験をしました。
孝夫君の住む倉庫に、外のトイレへの通路を作りに行っていたときのことです。
夕方、すぐ横に住む大家のおばちゃんが介護施設から帰ってきました。
介護施設の職員に車で送ってもらって、体を支えてもらいながら、車から降りてきたとき、
私は、「お帰り」と言いました。
おばあちゃんは、
「ただいま」
と、うれしそうに応えました。
それを聞いて、介護職員が言いました。
「『お帰り』と言ってくれる人がいましたねえ、おばあちゃん。」
「お帰り」の一言を、おばあちゃんは長年聞いてはこなかった、
「ただいま」の一言を長年言ってはこなかった、
夫が亡くなってから‥‥。
「高齢の一人暮らしをしていると、どうにもこうにも、たまらなく寂しいときがあるんです。」
と、おばあちゃんが話したことがあります。
その孤独の寂しさをいやすためにも、孝夫青年に倉庫と付属の部屋を貸しました。
家族のような関係にまでいかないにしても、隣に親しくできる若者がいる暮らしが寂寥をやわらげることができるのでしょう。