子どもたちの野外活動

 バスの中に10名ほど、中学生らしいグループが乗ってきた。幼さが感じられるから一年生ぐらいだ。市内バスだが、鉄道列車のように真ん中の通路を挟んで、向かい合う2座席が両側にある。その8席の6つがヤンチャそうな男の子たちだ。ぼくの向かいに座った生徒に、ぼくはにっこり話しかける。
 「どこに行くの?」
 ぼくは地図を出して、外見いちばんのヤンチャに訊いてみた。彼は地図の一箇所を指で指した。山の麓の野外施設のようなところへ行くらしい。ぼくの下車するところに近いようだから、彼に頼んでみよう。
 「イグルスはどこかな、イグルスはどこ、ここはイグルス?」
 ぼくは窓の外を見ながら、右の窓、左の窓ときょろきょろ眼を動かし、
 「イグルスが来たら、ここだと教えて」
 ジェスチャーをしながら英語で言った。
 ところが全く伝わらない。ぼくのジェスチャーがこっけいだったらしく、後ろの席のおじさんが笑っている。ヤンチャは困ってしまって隣の席に逃げて行った。
 7月に入ってから、街でも山でも子どもたちのグループ行動を毎日のようにみる。大体20人以内のグループで、小学生から高校生まで、クラス単位に野外に繰り出しているようだった。
 博物館を見学し、一室で説明を受けているような小学生グループがいた。旧市街を歩いて、どこかへ移動していく一団がいた、標高2,000mほどのところをトレッキングしている高校生らしきクラスがあった。彼らは、山を下るときリフトに乗って、大きな声で歌っていた。スイス、オーストリアヨーデルの国だ。解放感でいっぱいだ。
 セグウェイという二輪車に立って乗り、両手でハンドルをもって操縦しながら、史跡をめぐる生徒たちもいた。
 それらのクラスには、担任の先生らしき人がついていた。しかしその人は児童生徒のなかに溶け込んでいて、目立たない。大声で指示したり、叱ったりすることは全くなかった。子どもたちの自発的な行動が、生き生きと展開されている。教師は子どもたちとともにゆったりした風で付いていっている。
 想像するに、この国の、あるいはこの地方の学校の全クラスがそれぞれ話し合って、クラス単位で学習したいテーマを決め、そこへ出かけていって、学んだり体験したりする活動のようだ。
 宿のおばさんに訊くと、7月8月の二ヶ月が夏休みで、
 「ロング ロング バケーションです」
と言う。
 1965年夏、ぼくは山仲間の教師たちと約二ヶ月間、ヨーロッパからインドまで、学校を訪ねたりして旅をしたことがあった。そのころは、ソビエト連邦でも他のヨーロッパの国々でも、夏休みの子どもたちはみんな野外に出て自然の中で体験し学び、心身を鍛えていたと記憶する。夏休みは町の中から子どもの姿が消える時期だった。
 あれから半世紀近く、今ヨーロッパの国々の夏休みはどんな風になっているだろうか。
 宿のおばさんの言うように、二ヶ月たっぷり、自然、文化、歴史、社会生活などに直接ふれ、さらに家庭生活を親子で創造する生活ができているとしたら、これはその国の教育の本質を表しているように思う。
 そこでぼくは思うのだ。
 日本の子どもたちの夏休みはどうなっているだろうか。教師たちは、子どもたちと自由な自発的な活動を創造することが出来ているだろうか。
 日本の教師たちは疲弊し、創造性を失い、心身を閉ざす状況に追い込まれているとしたら、その不幸は子どもたちに反映するばかりだ。