「創造の森学舎」2002・2003の記録 1

 


      留守を守り、留守に寄り合ってくれた人たち



あの日々の記録を読み返してみた。
懐かしさと哀惜の気持ちが湧いてきて、胸がきゅっとなった。
「創造の森学舎」をつくる過程を共に歩んでくださった人たちが、
ぼくたち夫婦が中国・武漢大学へ赴任している1年間、
留守宅と畑を、自分の家と自分の畑の如く、1年間守って、世話してくださった、
それは惜しみてあまりある稀有の、
心と行為が寄り合った1年間だった。


「お帰りなさい。ここはあなたの我が家です。どうぞ自由にお使いください。」
掲示板にそう書いて、1冊のノートを置いた。
ぼくたちは、この家と畑を1年間留守にする。
「創造の森学舎」の札を入り口に吊るした母屋と「緑枝舎」の札を掲げた離れの一棟、
入り口の鍵は風呂のボイラーを設置したところに牛乳箱を隠し、そこに入れた。
中国へ旅立ったのは2002年の8月末だった。


閉じられた窓を開け放して風を通し、
ぼうぼうと生える庭と畑の草を刈り、
伸びすぎた庭木の枝を伐り、
畝を起こして、種をまき、作物を育て、
届いた宅配便を保管し、
冬は水道管の凍結を防止し、
たまには風呂を沸かして、
毎週、誰かがやってきて、留守居をし、作業に汗を流し、
流れる風や咲く花を楽しんでくださった。


帰国してきたとき、
ぼくらが食べものに困らないようにと、
畑にはいくつもの種類の野菜が育っていた。


訪れた人が自由に記録するノートに書かれた内容、
それを、ぼくはどれだけ深く感受してきただろう。


記録を読み返しながら、ぼくは去っていった日々を惜しみ、
あの日々に寄り合った人たちの心と行為にしばらく頭を下げていた。


あの日の記録を、ここに連載して残しておこう。


    ▽   ▽   ▽


8/29  AM5:30起きで、最後の片づけをして、6:30「創造の森学舎」を出発、駅まで(中国へ行く)二人を送っていった。いよいよ新たな1歩。9/1には、有沢さんと井上さんが来られるそうです。井上さんは、水路に近いところを使って、畑をされるそうです。芋を収獲した後で、畝立てできていません。畑で何を育てるか、それぞれ画いているところがあると思うので、来られたら畑作りと作付けを、このノートに記録しておいてください。来られたらまず家に風を通してほしいです。有沢さん、ゴマのほう、よろしく。(雨包)

8/31  6:20着。大阪から(5:00発)、高速を使わずに何分で来られるか試してみました。これならなんとか来れそうです。
畑のトマトとナスの塩もみを味わいながら、おにぎりで朝食。その後、草刈り、溝の掘り起こし作業、1時間。溝は底に石が敷いてあり、なかなかしっかりしたものです。ピーマン、シシトウ、ナスの大きくなりすぎているものを、とりました。これから来られる方も、食べれそうなものは、どんどんとっていった方がいいと思います。明日の朝、また来る予定です。小松菜と春菊、三つ葉の種と油粕を、納屋に入れておきます。畝ができたら、播いてみようかなと思っています。蚊取り線香を買ってきました。使ってください。収獲用のはさみ、縁側の作業台の上に置いておきます。(成大・貞子)

9/1   朝、道に近所の方々が、くわを持って集まっていました。みんなで道作り作業をするとのこと。さっそく成大が参加。近所の方々ともお近づきになりました。その後、近所の人の要請で、外灯下の木の枝を伐りました。畑のハーブの横、畝作りを始めました。まだまだですが、今日は暑いので、これでやめます。ゴマの実を落として、縁側の作業台の上に置いておきます。これからどうしたものかと考えています。(ゴミを取り除かなければなりません。) 実を落としたあとのゴマの枝、紙袋に入れて縁側の椅子の上に置いておきます。教材にいいと思いますので、使う方は持って帰ってください。竹篭2個、作業台の上に、はさみと軍手を入れて、置いておきます。収獲に使ってください。 近所からの伝言です。あぜみち横の草は、抜かずに刈ること、抜いてしまうと根がなくなって、道がくずれてしまうそうです。よろしく。
       <つづく>