「うそ」(横山多恵子)


 「地球宿」に並んでいた酒。よく見たら何やら書いてある。「望ちゃん、愛してる」「悦子 ありがとう」‥‥


今年の世相を表す漢字は「偽」 に決まったそうです。
日本漢字能力検定協会が全国から公募した「今年の漢字」です。
京都の清水寺貫主は、毎年大筆で墨黒々と巨大な和紙に選ばれた字を書きます。
清水寺貫主は、「偽」の字を書き終わってから、
このような字が今年の字として選ばれたことに、憤懣やるかたなしの表情で、
「恥ずかしい、嘆かわしい」としきりに言っておられました。
去年は「命」、おととしは「愛」でした。
「にせもの」、「ごまかし」、「うそ」、「いつわり」、
それに類する事件が続いたことに、世間が警鐘を鳴らしているのでしょうが、
それにしても、暗澹たる思いがします。


横山多恵子さんが、「嘘」という詩を作っています。
「嘘」は「うそ」です。
吉永ゆきさんと二人で作った詩集、「ことばよ 小さな 花になれ」(鉱脈社)に収められている詩です。


    ▽   ▽   ▽


     嘘

 
二日の旅を終り家に帰った私は
おそくなった返事をカムフラージュして
二日の旅を四日と言った
友に告げたその小さな嘘が
私の胸の中で風船のようにふくらみ
音を立てて破裂しそうだ   


    ▽   ▽   ▽


本当は二日間の旅だったのに、
友だちに、四日間旅に行っていたと、うそをついてしまった。
友だちに返事をすることがあったのに、それが遅れたから、遅れた原因をカムフラージュするために、四日間旅をしていたことにしたのでした。
何か言い訳けしないといけない、と思い、とっさに、二日を四日と言ったのでした。
友だちをだまそうと思ったわけでもなく、返事が遅れたことをとりつくろおうとして、口から「うそ」が出てしまった。
言ってしまってから、私の胸の中で、「友だちに、うそを言ってしまった」という悔いがだんだんふくらんできます。
小さな「うそ」が、多恵子さんの心の中で、大きな「うそ」になっていきました。
「どうしてそんなことを言ったのだろう」、自分を責めます。
音を立てて破裂しそうな心の中です。
このような経験は、誰にでもあります。


私たちの日常生活の中にひそんでいる「うそ」。
悪気はなかった。
自分の弱みを隠そうとして、言った言葉が事実ではなかった。
言いたくないことだから、異なることを言ってしまった。
自分のしたことが、つじつまのあわないことだったから、つじつまをあわせようとして、言葉をつくろった結果が「うそ」になった。
相手に心配をかけまいとして、言ったことだったが、それは「うそ」だった。


「うそも方便」ということわざがあります。
やるべきことを、うまくいかせるために、「嘘」をつかねばならないこともある、という庶民の生活の知恵から出たことわざです。


しかし、優しい心は、「うそ」をついた後、痛みを感じ始めるのです。
思い出す度に痛みを感じることが、私のなかにも、いくつも残り続けています。
心は、それがよかったか、悪かったかを、無意識に判定して、とどめているのです。