ニンニクを植えた



9月はいつまで続く暑さかとうんざりしていた。ところが10月に入って、一週間ほどすると、穂高連峰乗鞍岳新雪が積もった。犀川の白鳥湖にもう数羽のコハクチョウがシベリアからやってきたという。我が家から見える常念岳後立山連峰にはまだ白いものは見えない。春夏秋冬の四季の構造は、夏という暑さの極と冬という寒さの極の二極の間に春秋があり、極から極への移動期が春夏であるがゆえに気候の変化は急激で、秋は夏をはらみつつ、冬を体内に宿すのだ。秋は体内に冬を抱くにしても、まだ早すぎると思えるような霜注意報の出た日が10月上旬にあった。それは信州の中でも気温の低い高原地方であった。安曇野は霜の下りるような朝の冷えはまだ来ないが、夕方日が沈むと、気温はたちまち背中から体温を奪って、冷えが全身に広がる。
ニンニクを植えるのはこの季節、JAの店にニンニクの鱗茎を買いに行った。ニンニクは球根ではなく鱗茎と呼んでいる。地下茎なのだ。タマネギもユリ根も鱗茎。ニンニクの鱗茎は、薄皮に包まれている。その一個は数片の小球が合体している。指に力を入れて割ると、小球は分離する。ぼくは500グラムの袋を買うことにした。袋には、10個のニンニクが入っている。一個が6つの小球に分かれるとすれば、合計60片になる。その一つ一つを植えると、芽が出て生育し、あの6片ほどの小球をくっつけたニンニクの鱗茎60個になる。
店のレジの女性が、ぼくの渡したニンニクを手に持った。そのとき彼女の指が一個のニンニクの鱗茎にさわり、普通は硬い球なのに、その一個が柔らかいことに気づいた。
「これ、変えたほうがいいです」
彼女は店の中にいる年配の男性に声をかけた。男性は農業指導員のような役目の人なのか、女性から受け取ったニンニクのその一片がよくないと判断した。彼はニンニクの置き場へ行って、別の完全な品物を持ってきた。
「ありがとう」
ぼくは礼を言ってそれを受け取った。よくない一球が混じっていることにぼくは気づいていなかったのだから、そのまま売っても、買ったぼくには分からなかったかもしれない。しかし、客が気づいていないのだから、不良品の混じっているのをそのまま売ろう、とは店の人たちは考えなかった。当たり前といえば当たり前だけれど、ぼくはその良心的な態度に小さな感動を覚えた。
夕方、大豆畑へ行った。大豆は葉も実も黄色く色づいてきていた。今月末には収穫できそうだ。この大豆は黒豆。機械を使わずに手で刈り、畑に干して、あとは平たい木づちでたたいてさやから豆をとるという、昔ながらのやり方で豆を取る予定だ。大豆は味噌づくりに使う。初めて自分の作った大豆で味噌を作ることになる。
昨日、大豆畑の隣にニンニクの畝を作ってある。畝を立てて堆肥を入れた畑に、ニンニクを植える。鱗茎を分離して、一個一個の小片を4センチほどの深さに植えた。
植えるのが終わって時間があったから、ソウゾウ君の植えたトウモロコシの残骸を片付け、ネギの畝に土寄せをした。少し汗をかいた。夕暮れが近づいていた。