「母の歌」(更科源蔵)

詩人、更科源蔵が「母の歌」という詩を作っています。
更科源蔵は、1904年の真冬に、北海道の開拓民の子として、釧路川の上流、熊牛原野で生まれました。
源蔵の家は、周りを見渡しても人家の見当たらない一軒家で、隣の家まで3キロも離れていました。
源蔵のずっと年上に兄と姉がいて、そしてすぐ上に二人の姉が生まれたのですが、 この二人は生まれてすぐに亡くなりました。そのころは生まれても病気で亡くなる子が多かったのです。
友だちもいない源蔵の遊び相手は、白樺の木の下で咲いている花や、白樺の木や花に集まってくる虫でした。
幼いころのことを源蔵はこう書いています。秋の日のことです。


「夕焼けした西の空に、真っ黒い雲が堤のようにたなびいていると、『あしたは霜だぞ』と言って、夜中近くまでかかっても、霜に弱い作物を取り入れるために、しんしんと天上から寒さが降るような闇の奥で、父も母も無言のまま、荒い息づかいをしながら働きつづけ、私のような畑の手伝いのできない幼いものは、収獲の邪魔者として畑の片すみに投げておかれた。私は母の脱いだ汗臭い仕事着の中に包まれて、じっとうずくまっているよりほかしかたなかった。あたりに薄明かりのある間は、空に向かって悲しそうに鳴きつづけていたシマリスも、木の洞に帰ってしまうと、あたりは寒さがジンジンと音を立てて、小さな体をしめつけてくるので、しめつぶされた胸がいたみだし、闇の底におしつぶされながら私は、両手をしっかりと握りしめてて、がまんしなければならなかった。」


霜に弱い作物は霜に会うと、たちまち枯れてしまいます。父母は、厳しい自然環境の中で、暗くなってもこうして必死に働き続けていました。幼い源蔵はひとり闇の中でじっと耐えていたのです。「しんしんと天上から寒さが降るような闇の奥で」と表現しています。口の中で、この部分を読み返してごらん。そして、情景を想像してみましょう。
「あたりは寒さがジンジンと音を立てて、小さな体をしめつけてくるので」、この部分も口の中で繰り返し読んで、情景を想像してごらん。
「しんしんと天から寒さが降る」、「寒さがじんじんと音を立てる」、「しんしん」と「じんじん」、その違いはどんな感じでしょうか。
源蔵が寒さに耐え、ひとりぽっちの寂しさをがまんし、真っ暗な闇の奥で親を待っている心細さ、想像してみましょう。
この文章を、声を出して何度も読みます。自分が源蔵になった気持ちで‥‥。読んでいるうちに文章が体の中にしみこんできます。


源蔵の通う学校は、家から6キロメートル離れた町にありました。そこまで源蔵は歩いて通いました。往復16キロメートルです。みなさんだったら、歩いて何時間かかるでしょうか。普通の大人で1時間に4キロメートルほどの速さですから、往復で4時間は歩いていたのですね。冬の登校の様子を源蔵は次のように書いています。


「冬になると毎朝、まだ空の色までが、カチカチに凍っているような夜明けに、寒さが音を立てているような北に向かって行くので、はき出す息は真っ白になって、かぶり物のふちや眉毛やまつげに凍りついた。瞬きをすると、まつげとまつげが凍りついて、目があかなくなるので、ときどき両手で目をおさえて、凍っているまつげの氷を融かし融かし、歩かなければならなかった。」


源蔵のお母さんは、学校に行ったことがなかったので、文字の読み書きができませんでした。しかし、たいへん優しいお母さんで、小学生になってもときどき源蔵がおねしょをしたとき、隣に寝ていたお母さんは、おねしょした布団にボロ布を敷いて、そこにお母さんが寝て、入れ替わってお母さんの暖かい寝床に源蔵を寝かせました。
源蔵の眼に映るお母さんは、いつもこの世の苦しみがつきまとっているようでした。
では、「母の歌」です。これは文語の詩です。



      母の歌   更科源蔵


おん母はわがため
かくもやせ細りたまいしか
いと小さき御手にて
この荒れ果ての地をひらきたまい
ねんごろに小さき種をおとし
新しき芽を育てたまいしおん母は


凍てし野に雪は降りたち
炉をめぐり幼きはらからつどいたり
母は火の如くあたたかく有難きかな
いでゆきて荒きに耐えよと
あたためさとし給えしなり
さればわれらは貧しくも悲しからざりし


目は美しさをみよ
口は正しさを伝えよ
手はまたよきためにのみあれかし
いろはをも知りたまわねど
吾母はかく教え給いき


御髪はふるさとの雪の如く
たらちねのおん母は
吾等がためかくも清らかに
老いたまいしなり
しらねどもみ仏とは
わが母の如きか
         
     
    ▽    ▽    ▽


   現代語に訳してみましょう。



お母さんは私のため、
こんなにもやせ細ってしまわれましたか、
とても小さなお手で、
この荒れ果てた土地を拓かれて、
丁寧に小さな種を落とし、
新しい芽を育てられましたお母さんは。


凍てついた野に雪は降り、
囲炉裏の周りには幼いきょうだいが集まっていました。
母は火のように、暖かくありがたいものです。
外へ出て行って荒々しいものに耐えなさいと、
あたたかく諭してくださいました。
そうでありましたから私たちも、貧しくても悲しくはありませんでした。


目は美しさを見なさい。
口は正しいことを伝えなさい。
また手はよいことのために使いなさい。
「いろは」もお知りにならなかったけれども、
お母さんは、このように教えられました。


髪はふるさとの雪のように、
お母さんは私たちのためにこのように清らかに、
年をおとりになりました。
私はよく知りませんが、仏様というのは
私のお母さんのようでしょうか。


   ▽  ▽  ▽


「御(おん)」「給ふ」という敬語が、何度も使われています。
作者の、お母さんへの深い敬愛の情がほとばしりでています。
「たらちねの」は、「母」「親」にかかる枕詞(まくらことば)です。「母」や親」の前に付けて、美しいひびきを生み出す言葉です。
心を澄ませて何度も声に出して読み、作者の心を自分の心の中に写し取っていきましょう。
厳しい自然環境と貧しい生活条件のなかで、助け合いながらたくましく一生懸命に生きる源蔵の一家です。
その様子をあかんぼのときから見て育った源蔵でしたから、このようにお母さんへの愛と感謝の言葉になったのでしょう。
源蔵は、「父の歌」も作っています。