「前へ」(大木実)

 

<今朝は深い霧だった。霜も降りていた。霧が流れ、木々にもクモの巣にも霧氷が出来ていた。>



軒先の冬の陽だまりに、カマキリが一匹、すくっと緑色の頭をもたげていました。
零下5度の寒さが何度か襲って、分厚い氷が張ったり、霜が大地を覆ったりしてきたにもかかわらず、生きていました。
一週間ほど前、木枯らしが吹いて、氷点下になったとき、そのカマキリは頭を下げて脚も動かず、
ものかげにうずくまっていましたから、
このカマキリはもう死ぬなあと思っていましたら、生き延びていたのです。
夏の昆虫がどうしてこの寒さに耐えられるのだろう、生命力はすごいものです。
足もとを別の動く生物がいました。
体長1ミリほどのクモです。
おまえ、何を食べて生きているんだい、体は凍らないの?
この小さな体に仕組まれた、目に見えない構造の働き、生命の神秘です。
あたりを観察していると、音もなく飛んできて、石の上に降りた、蚊の2分の1ほどの羽虫がいました。
頭の大きさは0.3ミリぐらい、目もあるようだけれど私の目には見えない。
翅の長さは2ミリほど。
見ていると、羽虫は前肢で触覚をなで、後肢をこすりあわせています。
あんたも、まあまあよく生きてるね。
この小さな虫たちの強さ、どうしてこんなに小さくて生きることができるんだろう。
生命というものは不思議なものです。
命がある限り生き続けようとする、
命が消えるとき、子孫を残して潔く消えていく。


今日の詩は、「前へ」という詩です。
大木実という詩人は、昭和14年(1939年)に最初の詩集「場末の子」を出しています。
日本が戦争に突入していった時代です。
分かりやすい詩です。
まず何度も声に出して読んでみましょう。


      ▽  ▽  ▽


     前へ   大木 実


少年の日読んだ「家なき子」の物語の結びは、こういう言葉で終わっている。
―-前へ。
僕はこの言葉が好きだ。

物語が終わっても、僕らの人生は終わらない。
僕らの人生の不幸は終わりがない。

希望を失わず、つねに前へ進んでいく、物語のなかの少年ルミよ。
僕はあの健気なルミが好きだ。

辛いこと、厭なこと、哀しいことに、出会うたび、
僕は弱い自分を励ます。
――前へ。 


       ▽  ▽  ▽


家なき子」という物語は、私も子どものころ読んだことがあります。
たくさんの子どもたちが愛読した物語のひとつで、フランスのエクトール・アンリ・マロ原作、1878年に書かれた話です。
家なき子は、家のない子です。
親のいない、身寄りのない少年レミ(ルミ)が、旅芸人のおじいさんに引き取られ、いろいろなところを旅する冒険小説です。
映画化もされ、日本ではアニメーション映画にもなっています。
大木実は、少年ルミの、悲しい境遇にも負けないで希望をもって生きていく姿に感動しました。
大木実の青年時代は、戦争の時代でした。
つらいこと、いやなこと、かなしいことに、次々と出会います。
その度に、大木実は、物語の最後に出てくる「前へ」という言葉に励まされて、自分の悲しみや不幸を乗り切っていこうとします。
物語「家なき子」の感動が、この言葉に魂を吹き込み、生きた言葉に変えました。
感動すると、心が元気になります。
魂がふるいたちます。
生きた言葉に出会うと、これからの自分の生きる力になります。
大木実はこの言葉に出会い、力をもらいました。
「前へ」、どんなにつらくても、前へ進んでいこう。


私が小学生だったころ、同じ学年に徐君という在日韓国人の男の子がいました。
彼は体格もよく勉強もよく出来て、学芸会では毎年主役をつとめました。
六年生では、野口英世の子ども時代を劇をすることになり、彼は英世の役になりました。
学芸会のとき、観客は目を見はりました。
劇の中で、囲炉裏に落ちてやけどをした英世が、その後遺症でいじめられて泣くシーンがあったのですが、彼は本当に泣きながら演技をしたのです。
学年の中で彼はヒーローでした。
師範学校を出たばかりだった松村先生は、民主主義教育をつくっていく試みとして、「弁論大会」を計画しました。
弁論大会というものがどういうものなのか訳も分からないままに、
私も講堂の演壇に立って、
戦争によってたくさん生まれていた親のない浮浪児のことを話しました。
いちばん印象的だったのは、徐君の演説でした。
内容は頭に残っていませんが、一つの言葉だけ覚えています。
徐君は、泣きながら「光は闇から、光は闇から」と叫んで演説を終えたのです。
暗い闇のなかから、光が現れてくる。
長い闇が続いても、やがて光はやってくる。
徐君にとって、この言葉は生きる力を与える言葉だったのでしょう。
観客席からは感動の拍手が湧き起こりました。