昨日の夕方、入道雲が広がってきて、雷が鳴りだした。庭の木々や畑の野菜にとって、いい雨になりそうだ。
太陽は西の北アルプスの峰に沈み、雨粒がぽつりぽつり落ちてきた。いいぞ、いいぞ、だが雨粒はそれ以上続かなかった。
6時半過ぎ、ひとしきり轟いていた雷鳴が去っていた。夕闇が迫るなか、外界が紅くなっている。夕映えだ。が、いつもと違う紅さだ。洋子がカメラをもって外に出た。ぼくも外に出てみた。西の空はオレンジ色に染まっている。不思議な光景がそれから展開し出した。
午後7時ごろだ。西側の空の夕映えは中天まであかね色に染まり、そのなかをたくさんの黒点が飛びまわっている。コウモリだ。鳥のようななめらかな飛び方ではなく、細かく屈折しながら虫を追って飛ぶ。静寂があたりを支配している。
その夕映えは、空だけでなく下界のすべて、空気まで染め上げている。
振り返って東の空を眺めた。なんと、東の野と家々と山々はすべて青い光で染められているではないか。この世界は中天で東と西に分かれ、東は謎めいたブルーの光、西は幽玄のオレンジの光、その両者が東西の空と大地と大気を染め上げ、しんしんと静寂が深まっていく。
こんな不思議な光景を見たことが無い。この光の芸術はなんだ。心の中でつぶやく。洋子はカメラのシャッターを押している。
7時10分、世界はたちまち変転した。オレンジの光とブルーの光は色褪せ、光の世界は夕闇の中に消えていた。幻覚のような不思議ないっときだった。
オレンジ色の夕焼けは、限りなく見てきたが、ブルーの夕闇は理解できない。
ところが今日、家の壁に貼ってある、滝平二郎の四季のカレンダーの絵 を見て、おうそうなのか、と感じるものがあった。絵の一枚は夏の宵、草むらで虫の声を聞いている子どもたち兄弟、背後は深いブルーの闇夜だ。もう一枚は冬の夜、赤子を背負って上から綿入れを着たお母さんと子どもが、雪の舞う中を歩いている。濃紺の夜に白い雪。 深いブルーの闇だ。闇夜は黒く表現していない。よくよく感じれば、海の青、空の青、夜の青、宇宙も深いブルーなのだ。