竹の皮草履をつくる

 

   講師の老農民

竹の皮で草履を編む、昔からの伝統の農民文化を伝える講習会に洋子と二人で参加した。
長峰高原・天平の森のゲストハウス。
眼下に見下ろす安曇野は、対岸から山がせり上がり、その奥に北アルプスの屏風が白馬岳まで連なる。
長峰山からは年に何回か、よく晴れた日に富士山も見えるという。
教える人は84歳とやはり80代らしい、安曇野で生まれ育った、いかにも「我が人生は農」という2人だった。


講習に参加した人は13人だった。
日曜日の午前10時、わら打ちから始まった。
木槌でわらの束を打ち、柔らかくしなやかにして、編みやすくする作業が済むと、
そのわらで、草履の芯になる縄をなう。
「綯う(なう)」という言葉は、今の子どもたちは知らないかもしれない。
「なう」という行為が生活の中から消えてしまえば、言葉もまた使われなくなる。
ぼくの子どものころは、我が家も食料を自給するために作物を作っていたから、
エンドウのやキュウリの栽培に必要な縄を、子どもなりにぼくは、よくなったものだった。
その手業は今も我が体に残っていたから、数本の2筋のわらを両手に挟んで擦り合わせながら撚っていくと、わらはせりせりと音を立て、
たちまち2メートルのなわが出来上がった。
それが2本出来たところで、腰を下ろして伸ばした足の指の間にわらを挟む、
と、靴下に大きな穴が開いていた。


いよいよ指に挟んだわらの芯に、細く裂いた竹の皮を編みこむ。
4本の芯に、上、下、上、下と竹の皮をくぐらせ、指で堅く締めていく。


鼻緒は、裂いた竹の皮の3本を撚り合わせた。
鼻緒の前を草履につなぎ指にはさむところは、ふじつるを裂いたものを使う。


朝から始まって、おにぎりと天ぷらうどんの昼食をとり、午後3時まで作業をつづけて、片足ができただけで終わった。
続きは家でどうぞ、というわけ。
ぼくの横で講習を受けていた人は、布草履の作り方教室を開き、作品も店で販売しているプロだったから、
竹の皮草履も見事に完成させた。
「布草履は教室も開いているのですが、竹の皮というのは初めてで、
勉強に来ました。」


伝統技術というものは、材料もまた長い歴史のなかで洗練されてきた。
竹の皮は、どの時期のどのようなものがいいか、
ふじつるは、どんなのがいいか、
わらは、どうか、
たくさんの人が作って使って判明してきたことが蓄積している。
講師はどっかとあぐらを組んで、とつとつとそのことを語りながら、草履の作り方を説明していった。


「竹の皮草履は、履き心地よく、
健康によく、
汚れず、
長持ちします。」
夏の感触はこれほどのものはない、
それは、そうだろう、よく分かる。
いぐさの畳も、裸足で長年踏み、歩き、寝転んでも、
汚れがつかず、傷まず、気持ちのよい感触を保ち続ける。
天然のものの味わい、
飽きることがない。


「昔から伝わってきた伝統の技術を、忘れてはならないと思いますから、
私はそれを伝えるために、がんばっています。
私の家は、火事で全焼しました。
私は体だけが残りました。」
84歳の講師は、財産すべてを失い、それにもめげずに、今も農に生き、農民の伝統技術を伝えておられる。
熊手、竹箒などの竹細工、竹製品も、レパートリーにあるという。
ここにも深い人生を生きてきた人の物語がある。