安曇野シンポジウム (1)


下校していく子ども

「山岳と田園が育むよさを大切にし 暮らしやすさを みんなで共有できるまちの実現に向けて」
というシンポジウムに参加してきた。
日曜日の午後、豊科公民館ホールでの参加者は200人ほど。
パネリストは、
涌井史郎 (造園家、桐蔭横浜大学特認教授)
庵 豊 (松本大学教授)
中村麻美 (日本画家)
山田桂一郎 (スイス・ツェルマット観光局セールスプロモーション
コーディネーターは、扇田孝之 (地域社会研究家)


この日、朝からパネリストたちは安曇野をバスで参観してきた。
涌井氏は、開口一番、その印象をこう語った。
「青年の時代、何度も信州を訪れ、常念岳から安曇野を眺めたとき、広がる扇状地のなんと美しかったことか、
今回安曇野を観て、がっくりきました。」
率直な意見から始まった。
パネリストたちは、自分の主張を短い時間に出来るだけ多く話そうとするから、早口になる。
その声がスピーカーから出てくると、聞き取りにくい。
そこで家に帰って、涌井氏の講演(仙台市)をインターネットで探して読んでみたら、今日の話と重なるものだった。
主張点はほぼ同じだ。


「私は常日頃、お題目のように、景観10 年、風景100 年、風土1000 年ということを唱え続けています。
景観政策を、今の時代だけを睨んで行われるならば、大変な不幸です。」


涌井氏の論点を要約すると、
景観というものは、その土地に眠る人たちの遺言、そして、未来の子どもたちに託すものとの関連性の中で、考えていかなければならない。
自然は、人格形成に非常に大きな影響を与える。
それは「地域遺伝子」のようなもので、それがその地域にいる万人の風土性を生んできた。
風土というのは1000 年くらい経たなければ万人に共有できない。
風景というのはその風土の中から様々な自然とのやりとり、せめぎ合いをやって、
この程度であればここの自然と自分たちの暮らしが共存できるだろうと、ぎりぎりの接点を見出した時に、
風景という言葉が美しさとして表現される。
景観というのは、心に映ずる景色というもので、
景観の観という字は観音様の観、目で見ているのではなくて、心で捉えている。
日本人は本来、感受性が高くて創造性豊かな国民だから、目で見たものを一度心の中に取り込んで、心に映じたものとしてその景色あるいは景観という言葉に変換していく。
「地域遺伝子」を無視した今だけに媚びるものが景観であるとするならば、非常に混乱した世界になる。


涌井氏はこのように、景観、風景、風土について主張し、今の安曇野の問題を説明しようとしていた。
涌井氏の心の中にある昔の安曇野の姿から今を見れば、確かにがっかりするだろう。
世界からも称えられてきた安曇野の農村家屋と家を取り巻く屋敷森、扇状地に広がる棚田、
それは長い年月にわたって作られてきたものだが、
今はその美しい田園地帯をむしばむように建てられた、自然との調和を考えない建造物が、視野に入ってくる。
それは、日本全国に通じる現象で、長く住んでいた大和も、京都も風土が生んだ美の滅びは激しい。
涌井氏は安曇野の何に焦点をあてていただろうか。
涌井氏はこう語る。


観光は、「国の光を見る」、
その土地で誇りを持ち、活き活きと輝いて暮らしている姿を見て、
自分の国もこんな暮らしだったら良いなと触発される、
それが本来の観光の意味である。
自分が住んでいるところに誇りを持ち、その誇りを強調できるような仕掛け、仕組みを作り、
それをみんなで支えあっていけば、訪れた人はこの土地は良い場所だな、こんな所に住んでみたい、となる。


江戸時代、長崎の出島から日本を訪れたケンペルという人が、
「日本ほど美しい国はない、自分は様々な国を見てきたがこれほど美しい国はない、そして貧乏であっても貧しくない」
と書いている。
貧乏であっても貧しくない、そこには品性の貧しさはなく、むしろ清楚に生きている姿がある。
まるでこの島は、庭園の島のように美しくて、どんなに生活が貧乏であっても花を飾る心を忘れていない、
とケンペルは書いていた。
その当時の日本の都市は、かなり循環的で自己完結型だった。
江戸の町もそうで、自然と呼吸し合う都市づくりをやっていた。
緑あるいは農地というのが都市に入り込んでいて呼吸し合い、排出物を資源として都市が取り込み、農作物を作っていた。
そういう国から移り変わり、近代日本は走りに走り、経済大国になった。
その結果、どうなったか。
ゆっくり自分たちの国の行く末を考えてみると、
物を大量に作ることによって安くして、大量に消費するという一つの考え方の中心にいた日本は、これからもう変わっていくべき分水嶺にきている。
例えば、我々は既に高度なサービスを世界に提供する国になった。
物作りというのはその中の一つの手段だ。
資源を輸入してそれを加工して輸出していくのが日本だったが、
これからは、いかに環境にやさしい、そして人間社会の未来にとって豊かなものをどうやって作るかという知恵を、世界に輸出する国に変わる。
これまでは「幸福=物的充足度/物的欲求」だった。
しかしこれからは、「幸福=時間充足度/自己実現欲求」ということになる。
自分がどのくらい幸せかというのは、自分がやりたいことに対してどのくらい時間が割けるか、そのゆとりを持てるのかが、幸せになっていく。
マズローという人が人間の5 段階の欲求ということを言っている。
最初に欲求するものは、生理的な欲求。
それが満足すると、安全への欲求が出てくる。
その次は愛と所属の欲求。誰かに愛されたい、仲間といたい、コミュニティがある、そして自分が一人きりではなく誰かがいる、これが愛と所属の欲求。
その次に、承認の欲求というのが出てくる。
その次に出てくるのが、自己実現欲求。
では、自分らしくありたいという欲求を実現するにはどうすればいいか。
例えば高齢者の方々を考えると,
自分がどの場所に行けば安心して、しかも自己実現を果たせるような場があるのか。
かつて江戸時代の日本の都市が果たしてきたように、自己完結的で循環的で、
美しい一本の木がある。
あるいは一つの公園や空間がある。
そういう場所が欲しい。


「公」と「私」があるとすると、その真中に「共」がある。
この「共」という部分が空洞化してしまった。
環境というものを考えた場合、地域の人たちが自分たちのパブリックの財産をどのように評価するか。
評価するだけではなくて、それに対して自分がどう責任を持っていくのか。
「私」と「公」の間の「共」というものを、どうやってもう一度位置付け直すのか。
その復権を図ることが非常に大事なことだ。
景観というものは内面を表現する。
内面を作るのは我々である。
その内面に見合った表面の姿をどう見つけ出すか。
それが、本当の地域景観を創出するということなのだ。
その地域がどんな遺伝子を持っているか、
その有益な遺伝子を未来にどうしっかり我々が受け渡しをしていくのか、
それを考えていかなければならない。


安曇野も、市場経済社会に変わり、この地の個性が失われようとしている。
安曇野にはたくさんのストックがあった。
ストック型の地域だ。
『不易流行』(永遠性と新しい形が根源において一つである)が忘れられてしまっている。
風土が生んできた、おらが町の良さに誇りをもち、それを受け継ぎ、
未来に向けて、みんなで共に創っていく地域にしていかねばならない。」
それが涌井氏の提言であった。

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