命がけの教え


         映画監督、降旗康男の体験


このような教師がいたということ、このような兵士がいたということ、
今朝、信州・松本出身の映画監督、降旗康男さんの語りを新聞で読んで、
ひとりの教師の命がけの教えに心を打たれた。


所属する集団・組織が、正義の旗を掲げ、思想・理念の追究に邁進して、一つの目的、方向に動くとき、
集団は、それへの信頼を抱く圧倒的なメンバーによって維持されていく。
信じるメンバーが多ければ、集団は団結、一体化していくことになり、
権力者・権力機構にとっては何より心強い。
集団は、集団を信じ「火の玉」になるメンバーによって発展していくが、
権力者・権力機構の専制を防ぐメンバーシップが確立していないと、落とし穴に陥っていく。
「信じる」という心の動きは、宗教に限ったことではない。
国家を信じる、社会を信じる、党を信じる、会社を信じる、運動体を信じる、学校を信じる、家族を信じる、
実に私たちは、信じることで生活している。
電車に乗るのも、心の中に、信じるものがあるからである。
この航空会社は信じられない、となったら誰も乗らないはず。
TVや新聞などマスメディアの報道を、いつのまにやら信じている。
信じて、そのニュースを事実だと思っている。


しかし、本来「信じる」という作用は、「ほんとうはどうか」という観察や分析、実験や考察をとばした精神の作用である。
「信じている」という精神作用で生きていると、裏切られると「信じられない」となり、
次は、
「あの人は信じられない。あの集団は信じられない」
と言い出し、結局「信じる」「信じない」というレベルの思考にとどまったままになる。


妄信することなく、集団の外からの眼ももって、追究し探っていくこと、
その練習を教育の場でもっとなされなければならないし、
家族のなか、社会のなかで、それが鍛えられていかねばならないと思う。


降旗康男さん(73歳)の語っているという内容を、ここに記事のまま載せておこう。


「映画監督となった今でも思い出すのは、
終戦1年前、国民学校、今の小学校の時、担任の代用教員に言われた言葉です。
その教員は放課後、こっそり私を教室に呼んだ。
そして、
『戦争は負けだよ。少年志願兵なんかに決して手を挙げるなよ』
と言った。
もし少年志願兵が召集されたら、お調子者の私が真っ先に手を挙げるだろう。
するとほかの子どももつられて手を挙げ、戦地で命を落とすかもしれない。
そう心配したようです。
一億玉砕、軍独裁のなか、
日本が負けるなんて考えもしなかった。
そもそも、そんなことを言ったと憲兵に知られれば、投獄されてしまう。
にもかかわらず、あえて自分の思ったことを子どもに伝えた。
周りの人には絶対に言えませんでした。
共犯関係とも言えます。
だけどそれ以上に、
『自分のために命をかけて教えてくれた』
という感激が強かった。
この言葉で、世の中に対する見方が変わりました。
松本は自由民権運動普通選挙運動の発祥の地です。
この『蜜波羅鳳文先生』こそ、松本に宿る気質を受け継いでいたのだと思います。
今でもよみがえります。
これに勝る言葉はない。
『あの先生のようになっているだろうか』
と、いつも問いかけています。


半年後、自宅隣の旅館に、松本の飛行場で特攻の訓練をする兵隊たちが泊まっていました。
みんな10代か20代の若い隊員でした。
遊んでいた私を誘って、道ばたの石に腰を下ろし、
チョコレートや缶詰をごちそうしてくれた。
そして、
『日本は負ける。次の日本をつくってくれ』
と言ったんです。
彼らのその後の消息は知りません。
しかし、知覧特攻平和会館で隊員の残した手紙などを見ると、
多くの若者は自由に手紙も書けない状況の中で死んでいった。
素直に『さよなら』さえ言えずに死んでいった切なさがあふれている。
彼らとの出会いを題材に制作したのが、
01年に公開された『ホタル』という作品です。」
   (「朝日新聞」10月19日長野版 「100年のこと 松本」)


日本を正義の国と信じ、あの戦争を正義の戦いと信じ、
日本は必ず勝つと信じて、一億火の玉になっていたなかで、
非国民として殺されかねないことを、勇気を持って言った教師と兵士がいたという。
この体験が、降旗康男監督のその後の人生に映し出されているのだろう。
映画「ホタル」、「鉄道員(ぽっぽや)」などの作品としても‥‥。