ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)が生まれてくるこの国の怪しさ

 日本の国はじわじわと変質しているのか、それとも本質的には変わらず、根底に潜んでいたものが増殖を始めているのか。現れの一つがヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)。インターネット右翼ネトウヨ)が拍車をかけていると言われているが、これまで普通の人なら口が裂けても言えなかった暴言、虚言、悪態を街頭で公然と叫ぶ異様な集団の台頭。
 弁護士、研究者ら700人超でつくるNPOヒューマンライツ・ナウ」が在日コリアンに聴き取り調査をした結果が新聞に出ている。(朝日12月14日)
 在日コリアンの声。
▼ ひどい言葉が社会的に許容されている雰囲気を感じる。
▼ 以前働いていた職場で、ヘイトスピーチに好意的な人が増えてきたように感じる。
▼ 自分に向けられたものと感じる。カウンター(対抗デモ)から帰宅すると、胃腸がおかしい。
▼ これまでの人間関係で差別を体験したことはなかった。ヘイトスピーチで、社会の根本が見えてきたと思う。
▼ 「殺せ、朝鮮人」と言われ、殺されるんじゃないかと恐怖が襲った。
▼ 勤務先の団体に街宣が来た。名札を見られ、拡声器で名前を連呼された。面と向かって、憎悪感情を投げかけられ、恐怖を感じた。
 「殺せ、死ね」「日本から出て行け」「国に帰れ」、こんな言葉を拡声器で叫ぶ。大阪鶴橋でのデモのなか、中学生らしき子が叫んでいたという。
 「鶴橋大虐殺を実行しますよ」。
 それを聞いた人は、「存在が否定されたと感じ、体が震えて心臓がどきどきした」「関東大震災が頭をよぎった」と言う。目撃した人は「日本の社会の空気が変わってきた」と。「その場に市議会議員がいたが何も言わず笑っていた」「社会が黙認している」。
 関東大震災のときのことが頭によぎったという。では、1923年(大正12)に関東地方を襲った大地震の被災中に何があったか。地震直後のパニックのさなか、デマが流され、朝鮮人が殺され、中国人が殺され、無政府主義者社会主義者が殺された。殺された無政府主義者大杉栄伊藤野枝の間に生まれていた伊藤ルイさんが、後に書いている。
 「『朝鮮人が井戸に毒を入れた』といううわさを信じた町の人びとが、6000人とも7000人とも分からない朝鮮人を殺し、中国人を殺した。ハキハキした日本語がしゃべれないとか、江戸弁がしゃべれない東北地方から出てきた人びとが、(自警団から)なんか訊かれて、それが江戸弁で返事できないと殺された。警察の意図もあるでしょうが、それは町の人々が殺した。われわれが殺した。」
 ルイさんは、「われわれが殺した」と思った。自分たち民衆が直接の下手人になった。どうして自分たちはそんなことができのたか。その後ルイさんは、「民衆のために民衆は愛を育てなければならない、自分の力を持たなければならない」と言い続けた。
 無政府主義というのは、「いっさいの権力や強制を否定し、個人の自由を拘束することの絶対にない社会を実現しようとする考え方」だった。大杉栄伊藤野枝を殺害したのは、憲兵大尉甘粕正彦
 大地震と火災の恐怖のなかで流されたデマにうろたえた民衆の異常な動き、そのような動きに走った心理のなかにあったのは、朝鮮、中国の人々への差別意識だった。この差別意識は、自民族の優越意識と表裏の関係にある。
 最近盛んになった「在特会」のヘイトスピーチデモに対して、それを封じようと市民によるカウンターデモが起こっている。先日、大阪のマート君に電話したら、鶴橋で行われていた「在特会」のデモをカウンターデモが取り囲むようにしていた、と目撃情報を伝えてくれた。これまで何度か両者が衝突している。
 今月、四国で行なわれた全国同和教育研究協議会の研究集会でも、また部落解放運動の雑誌でも、ヘイトスピーチの問題が取り上げられていたとマート君は言った。そういうことを許さない人びとの行動も広がっている。NPOヒューマンライツ・ナウ」の行動もその一つだ。今の日本で、あの関東大震災のときのようなことが起こるとは思えないが、気をつけなければならないのは、歴史を知らない人たちが、うっぷんのはけ口を、このような活動に求めていくことだ。扇動する者がいると、民衆の意識が、排外主義的で偏狭な「愛国」に傾斜していく危険がある。そこには政治経済の力学が働き、民衆の意識は政治権力によってつくられていく。
 四国の遍路の巡礼者が利用する休憩所に、「『大切な遍路道』を朝鮮人の手から守りましょう」と、外国人排除を訴える紙が貼られ、韓国語標識のシールを取り去れと抗議する動きが起きている。結局、お遍路道の標識には日本語と英語だけを使うことになったそうだ。

 大日本帝国は軍事大国になり、国民の意識を戦争遂行へと駆り立て、国民が戦争推進に邁進した結果は国の滅亡だった。
 映画監督でシナリオ作家だった伊丹万作は、戦後「国民はだまされていた」という発言がよく使われたことについて書いている。。
 「だまされていたということは、不正者による被害を意味するが、しかし、だまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いていない。
 だまされるということも一つの罪であり、昔から決していばっていいこととはされていない。
 だますものと、だまされるものとが、そろわなければ戦争は起こらない。
 『だまされていたと』と言って、平気でいられる国民だから、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のウソによってだまされ始めているにちがいないのである。」
 驚くべきは、戦時下においても、病床にあった伊丹は日記にこうつづっていた。
 「日本を滅ぼすものは、ついに無知なる精神主義と、固陋(ころう)なる官僚主義と、貪婪(どんらん)なる資本家と、頑迷なる軍人ときわまれり。戦争中止をのぞむ。」