新任教師の自殺


         友をつくれ


昨年6月、新任2ヵ月で自殺した女性教師の記事が新聞に出ていた。(朝日 10・9)
その後見つかった遺書に、
「無責任な私を お許しください。全て私の無能さが原因です。
家族のみんな ごめんなさい。」
と書かれていたという。
東京新宿区立のその学校は1学年1学級、
彼女は小学校2年生の担任になった。
自殺に追い込まれた原因と思われることとして、
「激務、支援不足、親からのクレーム」
と編集員は書いている。


彼女は、自分の無能さが原因と書いた。
仕事をこなすことができない、
いい授業をすることができない、
子どもたちを思うように指導することができない、
親に適切に対処することができない、
できない、できない、できない。
できない自分、無能な自分、だめな自分。
矛先が自分に向かう。
しかし、それだけで自殺に追い込まれることはないとぼくは考える。
なによりも孤独だったことではないか。


新任教師の最初の1学期は、危うさをはらんだ1学期である。
初めての世界の壁にぶつかり、悩みの学校生活になりやすい。
学生時代と世界が根底から変わるのだから、当然のことである。
任された何十人の子どもたちと一日いっしょに生活し指導することは楽しく、
そして子どもたちと心を通わせることができたなら、
教育は生き甲斐となり、教師冥利に尽きるだろうが、
ピーチクパーチクとさえずる、ひとりひとりが異なる何十人の子どもたちの世界と、
その後ろに控えて、新任教師への要求や期待を直接ぶつけてくる何十人の父母たちの世界と、
教師たち同僚の世界と、
それらの圧力が大きく、それにひとり直接向かい合わなければならないとなると荷は重い。
新任教師は、その重圧にひとり耐えねばならない。


昔のような、親たちが教師を支え、子どもたちが教師を慕う、
そんな信頼関係が消えてしまった現代では、
孤独な教師に吹き付ける風は厳しい。
職員組合や先輩教師たちの支えがあった時代や学校では、
新任教師を孤独なままにおいておくことはなかった。
しかし今や教職員組合の活動も火が消えたようになってしまっている。


新任教師が絶望に向かわず、希望に向かうようにするには、どうしたらいいか。
この教師の学校は、1学年1学級という小規模校だったから、教職員数が少ない。
だから悩みを打ち明け、話し合える仲間も作れなかったのかもしれない。
まずは、誰か一人でも心を打ち明け話し合える同僚をつくることだ。
そのためには、どんなに忙しくても、話を交わす機会をつくることだ。
茶店で、レストランで、飲み屋で、どこでもいい、「場」をつくる。
ほっと息をついて、肩の力を抜いて、おしゃべりを楽しむ、
そんな「場」をつくり、友だちをつくることである。
職務を終えて家路に向かう前に、若い教師たちはどこかに集い、語り合う。
現代の学校では、そんな気風がなくなってきたけれど、それをつくりだすことだ。


コミュニケーションを楽しめる人を育てる、これは教育実践としても重要なことである。
そのためにも教師自らが仲間と実践し、コミュニケーションを楽しむ人になることだ。
八方ふさがりのような気分におちいって、手も足も出ない心境になってしまわないさきに、
職場の中にオープンな交流のできる気風を作り出す、
それは管理職と年配教師たちの仕事でもある。


そして新任の教師たちよ、
一つでもいいから、自分の得手とする実践をもとう。
子どもをひきつける、一つ何かを。
その一つから子どもが寄ってくる。
子どもが寄ってくれば、自信が生まれる。
学校が楽しみになる。
それがある限り、絶望の淵には沈まない。