アルミサッシの出入り口を造る


         古サッシの長い旅路


アルミサッシの出入り口用の、ガラスの引き戸の取り付けを始めた。
孝夫君の住む倉庫の1階は、西側が全面開いていて、床から天井まで鉄のシャッターをじゃらーんと開ける仕組みになっている。
夜にシャッターを下ろすと、トイレに行くときはまた、ガラガラ音たてて、重いシャッターを開け、
吹きさらしのなかをトイレに走る。
「4枚のシャッターのうち、1枚分のシャッターを開けたままにして、そこに出入り口用のサッシを入れられたらいいなあ」
という孝夫君の希望を聞いて、そこで我が家の古アルミサッシの提供となったのだった。
孝夫君の軽トラでサッシやガラス戸を運び、木材はホームセンターで買ってきた。


このアルミサッシは、長い旅をしてきた。
奈良の御所市名柄、木村さんの空き家に、「創造の森学舎」の表札を掲げて住んだとき、傷んだ家の修復と、新たな部屋の増築に長い時間をかけて取り組んだ。
屋根瓦にしっくいを詰める、天井板の隙間に新たな板を張る、土壁の崩壊部分に窓を作る、土壁の内外に杉の板を張る、床にフローリングを張る、
そして、納屋、物置、井戸小屋を建て、新たな小部屋を二つ造った。
これらの材料は、ホームセンターで購入してきたものと、仲間たちが持ってきてくれた間伐材や古材だった。
南海大地震の情報が盛んに言われるようになってから、いつ起こるか分からない大地震に備えて、外のイチイの大木と棟をジョイントでつなぎ、
寝室と居間の天井中央に、新しい材木を張り渡して「ほおづえ」を入れた。
建物は、基礎石の上に柱がのっかっている、昔のままで、
母屋は東に5度ほど傾き、離れ家は西に5度ほど傾斜していた。


「終の棲家」になるか、「仮の住処」になるか、
「終の棲家」をどこにするか、
このテーマの模索はずっと続いていて、
木村さんの家を「終の棲家」にしようと決断したわけではなかったが、
手を入れて改善していく仕事は次から次へ現れ、終わりはなかった。
訪れてくる大人や子どもたちの宿泊に、また、「創造の森学舎」の活動としても、もう一室ほしい。
そこで、教え子の岡本さんのお父さんに世話になり、隣の町の家屋の解体業者から、古材をもらい受けた。
昔いた村からは窓や出入り口用のアルミサッシを提供してもらった。
そしてひとりでコンクリートを練って基礎をつくった。
だが、結局、この一室を完成させる前に、長野への引越しという大決断になったわけだった。


引越しの運搬はわしがやってやる、
材木運搬用のユニックトラックを持ってやってきてくれたのが、友人の弥一郎さん。
彼は、三重の山中にログハウスを建て、仲間と共に障害児の宿泊体験活動を開催していた。
引越しの日、手伝いに来てくれた仲間たちを陣頭指揮して、彼は荷物を荷台に積み上げていってくれたが、
困難な作業を取り仕切ると、奈良から長野まで、えんえん二回にわたって、運んでくれたのだった。
荷物の中には、これから安曇野の仲間に使ってもらおうと、
2台の耕運機も入れていた。
それらは今、リンゴを作っている「おぐらやま農場」の暁生君のところと、岐阜で林業をしている大五郎君のところへ行った。
弥一郎さんは、元体育の教師だったが、古武士のような一徹なところがあり、
一肌脱いで協力するとなると、目を見張るような行動力を発揮した。
引越しのとき、荷物の落下を監視するために、僕はトラックの後ろから乗用車で付いていった。
1回目の運搬は、夕方出発して、到着は午前1時を回っていた。
これはもう、命がけだなあと、そのとき僕はつくづく思った。


彼は述懐したことがある。
体育の教師をしていたときは、人を指図して、自分の考える通りにしようとしてきた。
そこには「人と共に」が足りなかった。
だから、ほんとうの仲間が生まれなかった。
しかし、教師を辞めて山のなかで夢を描き、新しい構想を始めてから変わった。
「人と共に」生きる生き方とはどんな生き方か。
彼はそう言いながら、人間と人間との関係をつぶさに考えながら実直に生きている。


彼が運んでくれた荷の中に、奈良でもう一部屋建てる予定だった部屋の材木や材料があった。
それらの古材木は、去年の秋、ひとりで建てた我が家の納屋兼ガレージに使った。
孝夫君のところに来たアルミサッシと断熱材は、これから建てようと考えている工房に使おうかと思っていたが、
今いちばん困っている孝夫君のところで活かせればそれでいい。
僕らが中国へ行っている間も、名柄の「創造の森学舎」の畑で、僕らが帰国したときに困らないようにと、心をこめて野菜をつくってくださっていた岡本さんのお父さんからいただいたクッションフロアも、孝夫君の住居の床に敷くことになる。


孝夫君の住む倉庫は鉄骨で造られている。
ここに材木を使って枠をつくり、アルミサッシの枠をはめるのだが、
鉄に木を接合していくのに工夫が必要だった。
観察しては考え、仕組みを描き、
一部コンクリートで基礎部分を固めれば、頑丈な出入り口ができそうだ。
夕方5時過ぎまで工事をしていたが、このごろは暮れるのが早い。
手元が暗くなったので、終わりにして、まあこの3日ほどで完成できるだろう。