市役所の対応


        本質を考えて欲しい


市役所の農政課から電話があったのは月曜日。
「地域課の職員から話を聞きました、よろしく。」
極端に要約すればそれで終わり、という感じだった。
もう一度話を聞きたい、でもなく、
どうしましょうか、と問いかけるのでもなく、
行政として何がやれるか、考えようとする風でもなく、
みなさんで考えてやってください、とでも言うような、
さらりと「聞き置く」態度が伺えたから、
若き就農者の不安定な生活条件に対して、行政としての支援は考えられないか、と突っ込むと、
ひとりの就農者の事例を話しながら、その人のやる気や能力のことを言い出し、
結局、あからさまな言い方をすれば、その件は地域で支援してもらってください、こちらでは関知しません、という本音がちらちら。


そこで、ぼくは担当者に言った。
「まず孝夫君の住んでいる倉庫へ行ってくれませんか、
そこで彼に会ってくれませんか。」
すると彼は言う。
「役所へ来てください。」
現地へは行かない、行くことはできない、そういう拒否が言葉ににじみでている。
「実態を見て欲しいです。実態を見ないでは考えられないです。」
「いや、こちらへ来て話をしてもらいたいです。」


行政マンとしての、いちばん肝心なこと、そのことが飛んでしまっている。
こちらが文書で提案していることの本質は何か、それが分かっていない。
倉庫を住居にしていくための材料調達という具体的なことは、本質を知るための入り口であって、
若き就農者がどのような実態にいるか、どうしてそうなっているか、
どうしたら若い農民たちが農業に希望をもって、農業の未来を築いていくことができるか、
行政と市民の関係をどのようにつくっていくか、
生きた現実を分析し、実態を捉えていく、そのことから農政は始まるということが分かっていないのではないか、
そのためには、まず現場・現地・当事者を足で訪ねて、情報を得ていくことから始まるのではないか、
市民の実態をつぶさに知るという姿勢なしに行政はできない、ということが本質なのだ。
担当者は、まだ若い人のようだった。
やはり役所の人間は、高みにいて、デスクから市民を眺めて事務的に動いているだけなのか。
勤務時間が来たら、はい本日は終了しました、なのか。


がっかりするような応対だったが、
しかしまだまだ本当のことは分からない。
担当者の彼には彼の事情があり、役所には役所の考えがあり、
今はそう応えるが、本当は親身になって行政を行いたいのかもしれない。
これだけで判断すべきではない。
ただ、第一印象は、そういう受け止めをしてしまう、対応があったということだった。


孝夫君、まず市役所に来て欲しいと言うことだから行って話しをしてきてはどうか。
孝夫君にそう伝えた。
孝夫君は、金も土地も住宅も農機具も何も持たず、空身で現地に入り、
初めは畜舎で生活を始めた、と聞いてもいる。
条件はゼロから始まった。
ただあるのは、溢れんばかりの情熱と行動力だ。