農業に就く若者


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文書を持って、市役所へ行った。
地域課とまず相談、
「要するに、若者の就農者が、住宅などで困難な状態にあることに対して、行政がどう支援していくか‥‥」、
文書を渡して説明する。
文書を読んだ二人の若い職員は、
「この方は、確か『若い農業者の会』に入っておられますね。新規就農者には住宅支援の制度もありますが、4年間の限定で、戸数も少なく、‥‥」
結局、「I ターン」の担当者が今日は外出しているので、相談しておきます、ということになり、カウンターの前での立ち話で終わってしまった。
担当者が留守であるにしても、「立ち話」にしてしまうのは不十分な対応のように感じる。
具体的な、「物」のリサイクル支援については、
「『市民タイムズ』に掲載してもらえるといいですね」
とアドバイスをくれた。
そういう手もあるか、と次は地域新聞社へ行ってみることにした。 


広域農道を走って、穂高町にはいる。
『市民タイムズ社』は、地域に密着した情報を満載したタプロイド版の新聞を発行しているところだ。
ホールを備えた瀟洒安曇野支社があった。
事務所の椅子に迎えられ、記者が話を聴いてくれた。
文書を持っていったことは、よかった。
来訪の目的をすぐさま理解した記者は、
「この人に会って、直接取材したいですね。ここに書かれていることに関心があります。
この方の生活がおもしろい、というとおかしいですが。
こういう若い就農者が、どういう状態にあるか、社会では知られていません。
この人は、以前三郷町の議員に立候補されたことがありますね。
海外青年協力隊で行っておられたということは,知りませんでした。」
議員に立候補したというのは、産業廃棄物の処理施設建設をめぐって、
地域の環境を守ろうという運動が起こり、彼が推されて立候補したことだった。
結果は、落選だったが。
記者は、取材に行ってみます、と応えてくれた。
さて、どのような取材がなされ、どのような記事になるか、
楽しみができた。


先日、家の近くで、Kさんというひとりの老農夫に会った。
ちょうど自分の田んぼの稲刈りが始まり、
Kさんは、娘婿が機械を動かしているのを、畦から車椅子に座って眺めておられた。
「後ろにひっくり返って、それで脊髄を損傷しただ。
手足がしびれてね。
孫がウサギを飼ってるで、ウサギの草を刈りに行くのも危なくってせ。」
しばらく話をした。
「あの大きな屋敷が、お家ですか。」
巨木の茂る大屋敷は、敷地だけで6反はあるという。
親の代まで40町歩の農地を持つ地主だった。
「じいさんの、そのまた前のじいさんは、道に捨てられたわらじも拾ってきて梁にかけ、
もう一度使えるようにするぐらいでなけりゃと、よく言ってただ。」
そうして田んぼを一枚一枚買い足してきた。
そうでもしなければ、財産は増やせない。
そうして土地を増やして地主になり、小作料をとってきた。
だが、戦後の農地改革で、一反歩あたり酒一本の値段で買い取られ、今は7町歩ほどになった。
大きな屋敷があっても、固定資産税とかでたいへんだ。
「米作っても、たいした金にならないよ。」
Tさんは、1俵の価格から反当りの出来高など数字を言いながら説明してくれる。
そんなもんかなあ、と思う。 
このあたりの米は、「安曇野米」というブランドになっている。
それだけ価格もつくだろう。
仮に1俵(60キログラム)2万として、反当り18万から20万にはなるだろう。
1俵1万5000なら13万から15万。
1町歩ではその10倍。


孝夫君の借りている農地は1町歩に及ばない。
アイガモを田んぼで飼う「アイガモ農法」で、農薬を使わない米作りをし、
無農薬トマトでジュースを作り、
エゴマから油をしぼり、
大豆でおいしい味噌を作る、
彼の創造性を駆使しても、
小規模経営では、とてもとても収入はおぼつかない。


青年たちが起業家になって、日本の農業を新たに再興していくためには、
どのような条件が必要か、どんな施策を講ずべきか、
そこにつないで考えていかなければならないことだろう。


さて、次のぼくの行動は、個人の家に聞くことだ。
サッシ屋を訪問する、
間伐材を伐り出したことのある山持ちの医院を訪ねる、
古い家を解体し廃材を積み上げた家に訊いてみる。