安曇野の若き農民


       倉庫の2階に住む


この夏、孝夫君は倉庫の2階に引越しをした。
これまで家主の好意で借りて住んでいた住宅から、出てほしいと言われ、
次の住処を探したが、
これまでのような低家賃の借家は見つからない。
結局、倉庫の2階に作られた部屋を、
一人暮らしのおばあちゃんから借りることになったのだった。
孝夫君は、もうすぐ結婚しようと考えている。
住居はどんなところなのか、行って見せてもらった。
壁には、断熱材がまったく入っていない。
なるほど、酷熱、酷寒の生活だな。
トイレはない。
どうするのか訊けば、倉庫の外にある簡易トイレだと言う。
よくイベントなので運んできて設置されている、電話ボックスのような形のものだ。
雨の日は傘をさして行かねばならない。
真冬の夜は、零下15度にもなる。
シャッターを上げて、そこまで走るのか。
風呂もなかった。
が、手伝いに来てくれた若者が、
小さな風呂釜を倉庫1階に入れ、周りをコンパネなどで囲って作ってくれた。


これから結婚しようという彼女とも会った。
新居がこの倉庫になるのは承知の上で、
ここに住み、共に農業をやりましょうという、近頃では珍しい女性だった。


僕に何がやれるか、
断熱材を入れたり、シャッターだけの出入り口に、楽に出入りできる引き戸を付けたり、
これはかなり手がかかりそうだ。


その日、真夜中、寝ながらぼくの頭はしきりに考えていた。
まずやることは、材料集めと行政の支援だ。


朝起きて、早速次のような文書を書いた。
まずこれを持って動いてみよう。


   ▽   ▽   ▽


     安曇野に就農している若者への支援協力を


 Tさんは、4年前安曇野に来て土地を借り、合鴨農法で米を作り、トマトやエゴマなど、いくつかの作物を栽培しています。
 元海外青年協力隊員として、アフリカのザンビアで2年間農業指導をしていました。
 住居は三郷の小倉地区で、地元民の好意によって、低家賃で空き家を借り、ひたすら作物と向かい合う生活をしてきました。しかし、収入は乏しく、農業収入ではとても生活できる状態ではありません。そこで冬季に酒造りの杜氏として出稼ぎに出て、収入を得、なんとか農機具代や肥料・種代、生活の諸経費をまかなっています。そういう切り詰めた状態ですから、月4万円とか5万円とかという家賃のところには住めないのです。
 現在彼は、家主の意向で、これまで住んでいた借家を出なければならなくなり、どこか住めるところはないかと地元を探し、一人暮らしの高齢者の家の倉庫を住居として借りることになりました。
 倉庫は、鉄骨2階建てで、住むところはその2階です。壁も屋根も金属板1枚ですから、夏の暑さは並ではありません。二階は一応内装のボードが張ってありますが、断熱材は入っていません。窓は、一重です。夏は酷熱、冬は寒さが身に応えるでしょう。2階には畳敷きの部屋と調理用の小型の流しがあります。トイレはありません。倉庫の外に、電話ボックス型の簡易トイレがあります。風呂は、1階に小さな浴槽を持ち込み、周りを板で囲みました。
 Tさんは、もうすぐ結婚もひかえています。結婚すれば、この倉庫が新居になります。


 心ある方に、協力をお願いします。
1、いらなくなった材木、廃材などをお持ちの方。柱材、板材などいろいろ、くださいませんか。トイレから住居まで、屋根を葺き、通路を作り、また部屋の内装に使いたいです。
2、屋根に使える材料、トタンなど、いただけませんか。通路の屋根を葺きます。
3、アルミでも木でも、窓のサッシの不用品があればください。寸法に合えば、窓を二重にしたいです。
4、断熱材も、ほしいです。壁に入れたいです。
5、古い家で使われていた木の雨戸も通路の壁面に活かせるので、ほしいです。


 いずれは専用の住宅に住めるように、望んでいます。空き家があれば、ご紹介ください。

 安曇野市には、ほかにも若者の就農者がいます。住宅と農地など困難ななかで、彼らはがんばっています。
 若き就農者を支援するために、協力をお願いします。  (2007/9/27)