写真集「隣人 38度線の北」

 「隣人 38度線の北」(徳間書店)という写真集を図書館で見つけた。北朝鮮の写真集だ。撮影は2011年から2012年にかけて4度北朝鮮を単身訪問し、合計して一ヶ月間ほど滞在している。写真家は初沢亜利氏、153ページに及ぶ写真の最後に、滞在記が14ページ掲載され若干の写真説明があるが、写真ページにはいっさい説明がない。ページを繰れば、ただ写真だけが出てくる。その写真から何かを感じる。
 初沢氏の訪問目的はもちろん写真を撮りたいということなのだが、政治的なもくろみは初沢氏にはなかった。だから信用されたということもある。初沢氏は北朝鮮訪問の間に起こった東日本大震災の被災地にも足を運び、悲惨な現場を撮影している。
 北朝鮮は2004年以来、写真家、ジャーナリスト、映像作家の入国を原則拒否してきた。だから初沢氏に対しても最初入国は認めなかった。入国の可能性が生まれたのは、十数回訪朝し、平壌外国語大学日本語学科の学生たちに日本語の図書を送る活動をつづけてきた、大阪経済法科大学アジア太平洋センター客員教授吉田康彦氏の尽力があってのことだった。
 第一回目の訪朝が認められた。しかし、カメラの持参は禁止だった。初沢氏はそれを受け入れて訪朝した。丸腰訪問の初沢氏は北朝鮮の案内人と意気投合し、彼に好印象を与えた。信頼感が生まれ、次にくるときはカメラを持ってきて、一週間でも二週間でも滞在してくださいということになった。
 二回目の訪問は、東日本の被災地から帰ってすぐの訪問だった。受け入れ機関の日本担当局長は歓迎会を開いてくれた。そこで、局長はこう挨拶した。
「 大震災でお亡くなりになった方々の御冥福をお祈りし、被災されて今なお苦しい生活を強いられている方々が一刻も早くもとの生活を取り戻されることを願っています。初沢さんご自身も被災地の撮影に尽力されるなか、一方でわが国との関係改善を願う意思のもと再訪朝されたことをうれしく思います」
 このとき、案内人がついての撮影だったが、かなりあちこち撮ることができた。
 そして三回目、東日本被災地の写真集を出版してからの訪朝だった。初沢氏の願う地方の庶民の生活を撮る取材は制限された。そのことへの無念の思いが案内人に通じたのか、思いがけない提案が案内人から出された。次の訪問は政府機関ではなく観光で入ったらどうか、というものだった。今でも観光で訪問する日本人は毎年百人以上いると言う。
そして四度目の訪問が実現する。中国との国境の町、丹東から列車による入国だった。この訪問で地方の撮影が実現した。二週間に及ぶ撮影の旅で、案内人の金さんは寛容だった。帰国前日、金さんは初沢さんにこう語った。
 「初沢さんが撮った写真はうちの国では日々見かける当たり前の現実なんです。それでもみんなは懸命に生きている。初沢さんならそれを悪意なく伝えてくれると私は信じます。‥‥もしかしたら写真集が出ることによって私は職を失うかもしれません。でも、わたしは朝日関係がうまくいくことを願っています」
 初沢さんは、なぜ北朝鮮を撮ろうと思ったのか、最後にこんな意味のことをつづっている。
 拉致問題があり、肥大化していくナショナリズムによって、日本人の心に憎悪の感情が渦巻いている。北朝鮮のイメージは極悪非道の仮想敵になっている。しかし、四度の訪朝を経て、かの国には多くの善良な人々がいることを知った。勇気を持って対話への道を歩むときが必ず来る。まずは冷静に相手を知ること、それがこの写真集のメッセージであると。