教え子の結婚式


       ヤスコの結婚


教え子のヤスコから、結婚するので披露宴に来て欲しいという連絡を受け、
特急「あずさ」に乗って、東京へ行ってきた。


六本木ヒルズ森のタワーの隣のホテルだった。
タワーの下に立って、上を見上げたら、くらくら目まいがした。
それは高さのせいではない。


華燭の典は、薄暗がり演出のなか、
スポット照明が新郎新婦が浮かび上がらせ、
描かれたストーリーにそって厳粛に行われていく。


新郎新婦の職場の上司が祝辞を述べた後、ぼくの番になった。
ながながとしゃべるのは、こういう場にふさわしくない。
軽く行こうと、あらかじめ考えてきたことを実行した。


ぼくは、卒業文集を取り出し、
19年前の文集の、3年7組の項を開ける。
それを見たヤスコが笑っている。


120ページから始まる7組の章の最初に、
「7組の1年間マル秘できごと」というのが載っている。
全ページが生徒自身がつくった手書きの文集だから、かつての生徒の人間性が、ほのかに立ち上ってくる。
この項は、天下一のオテンバ少女・ヨシ子が、まとめたものであることが分かる。
マル字と内容と言葉遣いが、ヨシ子のものだ。
ヨシ子は、3年間ぼくのクラスだった。
これほど手が焼ける子はいないと、その当時は思っていた。
意見があると、黙っていることはない。
激昂すると椅子の上に立ち上がって、大音量で主張する。
相手がだれであろうと、どんな場であろうと、お構いなしだった。
強引にわがままを通そうとすることもあったが、矢のように鋭く、人の気づかない問題点を突いてくることもあった。
型破りに対応するのに手を焼いたが、根は愛すべき子だった。


その「マル秘できごと」のなかからいくつか、
「大野さん、コンサートチケットを取るために徹夜で並ぶ。だいじな期末テストを受けなかった。すごいじゃん。」
「美術の時間、山崎さんに押しピンを椅子に置かれておこる松本君、授業中にけんか、富岡先生冷や汗タラり、止めるの必死、椅子持ち上げた、こわかったよ。」
そのなかに、ヤスコが登場。
「ヤスコさんと清水さん、修学旅行のとき、風呂のふたに乗って、つぶした。」
その修学旅行の目的地は、乗鞍高原上高地で、いくつかの信州行きの学校合同で専用列車を大阪で仕立てた。
この風呂の話は、乗鞍高原・鈴蘭の温泉宿でのことだった。
あとで分かったことだが、温泉好きのヤスコたち何人かは、真夜中も朝も何回となく部屋から抜け出して温泉につかっていた。
そのとき、風呂のふたをつぶしたらしい。
この項目の中に、ぼくのことも書いてある。


「吉田先生、お弁当が食べたいため、金井さんの個人懇談を2分ですませた。悪い担任です。たいほする。」
「吉田先生、冬休みにスイスのアルプスに登山。おみやげはなし。」


次のページ、「クラスのベスト3」。その一例。
「おもしろい人 1.金沢さん 2、三埜くん 3、井上くん」
「やさしい人  1、正尾さん 2、大西くん 3、又野くん」
ずらずら書いてあるそのなかに、
「しょうむないことをする人 1、杉本くん 2、ヤスコさん 3.先生」
というのがある。ここにヤスコ登場、そしてぼくが出てきた。
「しょうむない」、この大阪弁を訳すれば「つまらない」だが、それでは「しょうむない」のニュアンスは伝わらない。
ここには「ちゃかし」のユーモアがある。


みんなのプロフィール」の項。
「いまいちばん行きたいところは、タヒチ島。なりたい職業は、医者。どんな人間になりたいか、おおらかな人。」
職業は、ちがった。タヒチもまだ行ってない。
おおらなかな人、これはそうなっているね。


スピーチでは、こんなのを次々紹介しながら、
ヤスコの作文を、大阪弁に翻訳して読んだ。


しめくくりは、算数。
1+1=2 
夫+妻=2
ところが、二人の力を合わせれば、
1+1=3 あるいは4になる。
逆に、相手の力を発揮できないようにして、
1+1=1.5 あるいは1になる夫婦もある。


こんなことを言って、二人がつくるこれからを期待した。


お開きは、夜8時を回った。
東京の街には、若者たちや外国人の姿が目立った。
格安のホテルで泊まり、
翌朝「スーパーあずさ白馬」に乗って帰ってきた。


文集の中に、天下一のオテンバ・ヨシ子がぼくにこんなことを書いていた。


「20年後の同窓会の時にも、『ヨシ』と呼べるように、生きていてね。」
ぼくは、まだ元気に生きているよ。
それにしては、あまりにぼくは教え子たちに無沙汰しすぎた。
すまない、すまない。
みんなどうしているだろう。