全国統一学力テスト


      「モモ」
      

「モモは犬や猫にも、コオロギやヒキガエルにも、
いやそればかりか雨や木々のざわめく風にまで、
耳をかたむけました。
すると、どんなものでも、それぞれのことばで
モモに話しかけてくるのです。」
「モモがここにいるようになってからというもの、
みんなはいままでになく、
楽しく遊べるようになったのです。
たいくつするなんてことは、ぜんぜんなくなりました。
モモがすてきな遊びをおしえてくれたからではありません。
モモがいるだけ、みんなといっしょに遊ぶだけです。
ところが、それだけで、――どうしてなのかだれにもわかりませんが――
子どもたちの頭にすてきな遊びがひとりでにうかんでくるのです。
毎日みんなは新しい遊びを、
きのうよりもいっそうすてきな遊びを考え出しました。」
      (『モモ』 ミヒャエル・エンデ


子どもというもものはそういうもの。
子どもたちは群れるもの、
子どもたちの世界があり、
もっとも子どもらしく生きることのできる、
自由な活気に満ちた時間があり、
そのなかで子どもたちは学び、鍛えられ、
感性を豊かにし、「モモ」になっていく。
「モモ」が増え、    
子どもの群れが変わっていく。


物語『モモ』では、この子どもたちの世界に、
「灰色の男」が入ってきて、
子どもたちから「時間」を奪っていく。
「時間」を奪われた子どもたちは、 
遊びを奪われ、管理され、
偽りの価値観を教えられ、
競争原理による生き方をおしつけられる。


全国統一学力テストが今春実施され、
いくつかの学校での不正が問題になった。
テストの点数と順位を上げようと、校長を先頭に不正が行われた学校もあった。
これは予想されたことであった。
日本は、かつてそのことを体験してきたことだったから。


統一テストは学校間の競争を激しくするだけでなく、
学校内での競争を深刻にする。
もっとも憂鬱なのは、クラス間の競争である。
教師の指導力が問われるという意識から、
成績の悪い子をはずす、
あらかじめテスト対策の勉強を行う。
かつての学テでもそういうことが行われた。
今回、テスト中に巡視して間違い箇所を先生がほのめかすという事象が暴露された。


岐阜県犬山市は唯一、テストに参加しなかった。
このようなテストは、我が市の教育にはなじまない、反する、
そのことを市民に説明し、同意を得、教育に対する高い見識と実践を主張した。
自立した勇気ある行為であった。


参加するかどうかは、市町村教育委員会が決めることになっているが、
その検討が各自治体でどのように行われたか、
討議らしい討議もなく、
学校現場や子どもの世界を検証することなく、
右にならえ、
国がするというのだから逆らえない、
それが結果として現れてきている。


「灰色の男」の「時間泥棒」が、
子どもの世界を蹂躙していることに対して、
手を打たねばならないことが山のようにある。
統一テストという姑息なやりかたは、「灰色の男」である。
何が本当の学びを奪っているか。
文部科学省教育委員会のなすべきことは何か。
方向が完全に間違っている。