かけがえのない人


       「かけがえのない人」という自覚


「かけがえのない人」という言葉を何度もつかって、
先日彼らの出発への、はなむけの挨拶を僕はしたのです。
「その人の代わりになる人はいない、だから、かけがえのない人」、
という持って回った言い方よりも、
「大切な人」という直接的、簡潔な言い方のほうが日常生活では分かりやすいから、
普通「大切な人」のほうが使われるのですが、
僕はあえて「かけがえのない人」という言葉を使いました。
その日、出発していった人は26人、
そのなかに6人の父親と5人の母親がいた。
乳幼児を我が家において、育児を夫や妻、祖父母に託して、
彼らは53時間、船に乗って、海を越えてきた。


あなたの、父や母にとって、あなたは、「かけがえのない人」です。
あなたの妻にとって、あなたは、「かけがえのない人」です。
あなたの夫にとって、あなたは、「かけがえのない人」です。
あなたの子どもたちにとって、あなたは、「かけがえのない人」です。
ほかの誰もあなたの代わりになることはできません。
ただ一人の存在、ただ一人の人。


あなたの父にとって、母にとって、
あなたの夫にとって、妻にとって、
あなたの子どもにとって、
「自分はかけがえのない人」なのだという認識。
こちらから、かなたの人を見る、
その逆、かなたの人の心にたって、かなたから、自分を見る。
「自分は大切な人」です。
このことを認識し、自覚すれば、
軽はずみなことはできない。
怠惰なことはできない。
無謀なことはできない。
無理なことはできない。


病気になって、故郷に帰ってきた。
けがをして、故郷に帰ってきた。
法を犯して、故郷に帰ってきた。
だまされて、失意のうちに、帰ってきた。
少しも自分を大切にしていない帰郷にならないように祈ります。
実際そういうケースも起こっている。


日本の国、日本の社会、日本の企業、
あなたがたの存在の基盤には組織があります。
組織は、あなたがたを拘束するか自由にするか。
組織は、あなたがたの夢を実現する手段となるか。
あなたがたが夢に描いてきた日本は、
夢のとおりの日本になるか。


ぼくは、彼らに向かって話しながら、
意識は、これから彼らが身を置く組織に向かって話していた。