詩「母よ」

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母よ

誰があなたの頬(ほお)から美しい輝きを奪い

あなたのしなやかな指を刷毛(はけ)のように荒らしてしまったのか

母よ

誰があなたの澄んだ湖水から静かさを奪ってしまったのか

‥‥‥

戦争は父や息子や兄弟を

妻や母や妹の手からもぎとった

木の実のようにもがれた男たちが

次々に船倉をみたし

海のかなたへ送られていった

‥‥‥

故郷が戦火に焼かれ

故郷が死んだ人の臭いであふれている時にも

ぼくは南十字星のかがやく空の下で

暮らしていたのである

 

母よ

その時あなたのそばで

どんなに激しく火が燃え上がったか

その時あなたのそばで

どんなに烈しく爆弾が炸裂したか

‥‥‥

母よ

再び逢うために

ぼくらは何を賭けねばならなかったのか

 

ぼくは問い

幾度となくぼくに問い

壁を眺め

ああ

明日もまたぼくがぼくに問うことを思うのである

             黒田三郎

 

 この詩を読んだ遠藤豊吉は、次のような文章を書いた。

 「わたしの伯母には四人の男の子がいた。四人は日中戦争から太平洋戦争にかけての八年間に、みんな二十歳を迎え、兵隊にとられた。そして四人はついに帰ってくることがなかった。

 伯母の三男の遺骨が帰ってきた通夜、わたしは伯母の家に泊まった。

 眠ってから何時間たっただろう。隣室の異様な気配に、ふと目をさました。障子のすき間から見ると、伯母は声を殺して泣いているのだった。骨を抱いて泣いているのだ。

 うめくように、声をを殺して泣く伯母の姿の中に、日本の女の悲しさを見たわたしは、空が白むまで眠ることができなかった。」