ツタンカーメン王のエンドウ


  エンドウが実った

  
ツタンカーメン王のエンドウを植えるか。」
と、五つほど莢(さや)をくれた。
去年の夏、白馬村の徹君は、
自分の家の周りに夫婦二人が食べられるぐらいの野菜を作っていた。
大阪から白馬に移り住んで、十年近くになるか。
ツタンカーメンの王の墓から出てきたエンドウや。」
ふーん、そういう物語があるのか、
口から口へ、手から手へ、
そうして伝わってきたロマンだな。
3000年という歴史的なスケールの大きさが魅力的で、
ぼくは特にその物語を詳しく聞くこともせず、
真偽のほどを問うこともなく、
乾燥した紫色の莢を、ぽいとザックに入れて、もって帰ってきた。
世界を漂流している物語のひとつだろうね、
どんなエンドウができるか、植えてみよう。
と思って、置いておいたら、
ころりと忘れてしまった。
エンドウは普通、秋の終わりに種をまく。
苗の状態で冬を越し、春になってから育ちだす。
ツタンカーメンさんに気づいたのは、今年の春になってからだった。
ありゃりゃ、どうするべ。
安曇野の冬は冷夏十度以下になることが多い。
それに雪の積もる日がある。
去年の秋に蒔き忘れたが、
かりに蒔いても、それほど生育していなかったかもしれないな。
今からでも植えてみようと、
春になってプランターに種をまき、室内において水をやっていたら、
芽が出た。
気温が上がってきたので、プランターを外に出し、支柱を立てた。
ぽかぽか陽気のなか、苗は伸びて、ピンクの花を咲かせ、
僕がいない間に実をつけた。
実の数、三、四十はあったろうか。
熟れた実は、紫の莢に入っていたが、
中の実は緑色をしている。
まだ食べてはいない、どんな味がするだろう。
ここにいたって、初めてツタンカーメンのエンドウというのを、
インターネットで調べてみたら、
この話、信憑性は乏しい、というのが出ていた。
そうだろうな、
人間、こういう話は好きだから、
種を蒔いた人は、ロマンを楽しんでいる。
御伽噺でもいいではないか。
植物の命の偉大さ、
それは、まぎれもない事実だから。