子どもの遊び研究⑥


      六、飛火野のかんけり


休日、クラスの子どもたちと、奈良公園に遊びに行って、
一日遊んだ後の反響の大きさに驚いたことがある。
つっぱり、不登校、アレルギーなど現象面での子どもの変化が、学校において顕在化しはじめるのは1980年ごろ、
それから1990年代になって、さらに変化が深刻化する。
かなりの子どもたちの生活は、学習塾を中心とする個別競争にシフトしていた。
「明日の日曜日、奈良公園へ遊びに行きましょう。希望者は、9時に駅に集合。」
そう声をかけたら、朝9時に10人ほどが集った。


『飛火野』の奥、春日原始林との境目に、『馬酔木の森』と呼ばれる馬酔木の大群落があった。
春日大社から新薬師寺のある高畑へ続く『ささやきの小道』と呼ばれる美しい小道がそのなかを通っていて、
逍遥の小径として味わい深いところであった。
『馬酔木の森』の、迷路のような鹿道を『飛火野』へ抜けると、
別天地のようにぽっかりと開かれた草原に出る。
野球場ほどの広さの、南に傾斜したその草原には、陽がさんさんと降り注ぎ、
芝地の緑が目に染みる、のどかなところであった。
知る人ぞ知る憩いのスポット、とっておきの遊び場だ。


「『かんけり』をしよう。」
『かんけり』遊びは、昔から子どもたちに人気のある遊びの一つだった。
中学2年生の男女10人ほど、空き缶を一つ置いて遊び始める。
缶の置いたところから隠れ場の『馬酔木の森』までは50メートルほどある。
鬼を決めて缶を蹴飛ばし、みんなはちりじりに森へ走った。
女の子たちも森の木立の陰に隠れた。
鬼は森近くまで探しに行くが、缶から遠ざかるたんびに、
どこからか現われる男の子によって、缶を遠くまで蹴飛ばされ、
鬼はなかなか全員を捕まえきれない。
鬼は、観察し、計算する。
みんなはどの辺りに隠れているか、
隠れ場から走り出て缶を蹴飛ばされる前に、鬼は相手の名前を言って、
缶の上に自分の足を置かねばならない。
そうすることで相手がアウトになる。
鬼は無意識にそれを計算しながら、隠れているものたちを探す。
隠れているものを誘い出すには、
時に駆け引きのフェイントも要る。
そちらへ行くと見せかけて、逆の方へしのんでいく。
何度か失敗を重ねながらも、隠れているものたち全員を探し出し、
アウトにすることに成功した鬼は交代し、
草の上で弁当を広げて食べた後も遊びは続いた。
子どもたちは、馬酔木の木の香りをかぎ、
春日原始林の森の気を感じながら一日遊んだ。
日常生活から完全に異質な、快い疲れを子どもたちにもたらした一日だった。


その翌朝、
一人のお母さんから電話があった。
「こんなに楽しかったことはこれまでなかったと言ってました。」
大阪市内にある我が家に帰るやいなや、楽しかったーと叫び、
一日の様子をお母さんに延々と話したらしい。
子どもの顔に現われた変化、
遊びの陶酔が家に帰っても続いていた。
太陽と森の気と、遊びのもたらした陶酔と高揚感、
お母さんは、その変化に感動され、電話をしてこられたのだった。


『かんけり』という遊びは、どういう遊びだろう。
『かんけり』や多様な種類の『鬼ごっこ』、それから『かくれんぼ』や『鬼ごっこ』も、
「逃げる」という要素と「隠れる」という要素と、
「探す」「追う」「つかまえる」という要素で成り立っている。
「隠れる」という行動には、見つからないように息をひそませる、緊張感がある。
「つかまえる」という行動には、狩猟的なワクワク感がある。
そして、それは、なかなかハードルが高く、成功しにくい。
失敗が連続する。
隠れる方は、挑発したり、鬼の目をくらましたりして、
逆手のチャレンジをしながら、鬼の隙を見て缶を蹴りに行くという反撃を行なう。
遊びはこうして、たえず緊張をはらんでいる。
知的なかけひきしながら、探す、隠れる、追う、追われるというハードルに挑戦するおもしろさ、
それが子どもに人気だった。


この種の遊びで、最も激しく行動的だったのは、『探偵』だった。
戦時中には『駆逐、本艦』という遊びがはやった。
帽子のひさしを、前、横、後ろにすることで、敵味方を識別する。
『探偵』は、探偵と盗人の二派に分かれて、ワイドな捕り物帳を演じる。
学校でこれを行なうときは、学校全体が舞台になるし、
地域で行なうときは、畑、野原、林、庭など全域が舞台となる。
知的に行動し、策略も立て、何度も失敗を重ねたうえで、成功をかちとる。
1960年ごろ、野外活動やボーイスカウトの集団ゲームとして、物語性を付与し組み立てられていったのが、
『追跡ゲーム』『ワイドゲーム』であった。
淀川堤防を加え、豊臣方と徳川方の、隠密の勝負というストーリーを背景にゲームをやったことがある。
男の子たちは、そのものになりきってゲームに陶酔した。
『探偵』ごっこで走り回った後の子どもたちは、ストーブのない寒い冬でも、
頭から湯気を立てていた。


『かんけり』などの、群れの行動的外遊びが子どもの生活から消えていくのと、
現在の子どもの内面に現われてきたものと、
その反比例が示しているのは、
子どもを取り巻く社会と、子ども文化の変質である。
のっぺりと子どもを覆ってしまっている文明によって、
子どもの生活が変わり、子どもの育ちに不可欠なものが失われていった。