『子どもの遊び』研究②


        二、模倣


「まねし漫才 米屋の小僧」
こう言って、まねをした子どもをからかい、はやしたてることがあった。
ぼくが子どもだった時代、大阪。
こういう成句が、どこから生まれたのか、
大人が作り出したのか、子どもが作り出したものなのか。
あの頃、子どものなかに、おもしろい成句、はやし言葉をつくるのがいた。
「北」の付く名前の子、北村君に、歌う。
「きったん 馬力の ちんどんや」、
タケちゃんをからかって歌う。
「タケちゃん たんこぶ 12こぶ 12時 鳴ったら こぶだらけ」
炭屋のごんたくれ、○○君をからかう歌。
金剛山の 雪つもり ○○のちんぽ 垢つもり」。
おしくらまんじゅうという遊びで、男の子が歌う。
「おせ おせ ごんぼ おされて 泣くな」


子どもは「まね」の連続で、
まねして育つ存在だ。
だから、子どもは、「まね」がうまい。
アメリカの子どもが、イチローのバットの振り方をまねする。
日本の子どもが、荒川静香イナバウアーのまねをする。
テレビコマーシャルに出てくる人物のまねもうまい。
好きな選手の表情から、声音、
歩き方までまねをする。
「真似(まね)」をすれば、その人になれる気がする。
人をからかうときにも、真似が出る。
まねをして笑いを呼ぶ。
遊びの一種として、これが出る。
からかわれる人にとっては、いやな真似だが、
からかわれてもへっちゃら、耐性がつく。


「まねび」という言葉は、「学び」と書き、「まねること、まなぶこと」の意で、
「学ぶ」は模倣から始まる。
友だちと遊ぶようになって、子どもの世界が生まれてくると、
ごっこ」遊びが始まるが、
ごっこ」遊びは、「まね」遊び。
「ままごと」遊びは、お母さん役になったり、お父さん役になったり、
子どもたちは、演出から演技まで、なかなか見事にまねをする。
見事なまねをすることができるということは、それだけよく観察しているということである。
草の実をとってきて器に盛り、葉っぱを刻み、
食事の支度も食事のありさまも、そこで交わされる会話も、日ごろの観察が生きている。
子どもは、実によく観察して、親の行動をとらえているもので、
自分の行為や癖をつかまれていることを、親は案外知らない。
赤ちゃん期、幼児期、子どもは親のまね。
次に兄弟のまね、
そして、遊びや参加しているグループの友だち、お兄ちゃん、お姉ちゃんのまねをする。
まねの範囲が広がっていく。
憧れの人のまねをする。
好きな人のまねをする。
上手な人のまねをする。
印象的な人、刺激的な人、有名人のまねをする。


ぼくが小学生だった頃、小学生の間にはやった数え歌があった。
それは、母校の先生を歌いこんだもので、
正確な文句は忘れてしまったが、こういうものだった。
一は、いんちゃい □□せんせ、
二は、にいちゃん ▽▽せんせ、
三は、さむらい ○○せんせ、
四は、尻振り ◎◎せんせ、
五は、ごんぼの △△せんせ、
六は、ロッパの、◇◇せんせ。
○ や▽のところは、その先生の名前が入る。
「いんちゃい」は、河内弁で「小さい」ということ、
「にいちゃん」は、若い兄貴のような先生、
「さむらい」の先生は、顔つきが芝居の侍に似ていた。
「尻振り」は、大きなお尻の女の先生で、歩く後姿は、お尻がもこもこ左右に揺れた。
「ごんぼ」は、牛蒡のこと、色黒でやせている男先生、
「ロッパ」は、当時活躍していた喜劇役者の古川ロッパに似ている眼鏡をかけた先生。
子どもたち同士では、「せんせい」とは言わず、「せん」だけだった。
だれが作ったものか、子どもの間にはやっていて、みんな知っていた。