対話する力、討議する力


       大村はまの戦後教育の出発点


NHKの放送に、「ことばおじさん」が登場する番組がある。
ことばおじさん、日本語がたいへんです」という台詞で始まるNHKの番組。
言葉の使い方がおかしくなってきているケースを考える番組なのだが、
「たいへん」なのは、使い方がおかしくなってきている問題だけでなく、
もっと深刻に考えないといけないと思うのは、
会話力と生活の中の会話量が弱く少なくなってきているということである。
会話力と生活の中の会話量が弱く少なくなってきているということは、
人間と人間の関係にも影響を及ぼし、
人間と人間の関係が薄弱になれば、
会話力が弱くなり、生活の中の会話数が少なくなる。
相関関係である。
会話力と生活の中の会話数が弱く少なくなると、
人間と人間の関係を健全に築けない。
それは人間の精神の成長に影響し、
集団や社会の成熟を阻害する。


学校のなかで、教師たちが会話をする。
それは対話になっているか。
職員会議は、討議の場になっているか。
児童生徒、学生たちは、クラスで必要な対話をしているか。


現実は教師たちがいちばんよく知っているはずだ。
それができていないために教師の問題、子どもをめぐる問題が多発する。
さらにまた、地域住民の自治会で、
対等な立場の対話が成り立ち、問題点をとらえ、
その解決に向かって率直な討議がなされているか。
企業のなかで、各種集団のなかで、「話し」「聞く」は豊かに息づいているか。
そして最も重大なこと、
国会という場で政治家たちは、まともな討議を行なっているか。
損か得か、勝つか負けるか、かけひき、戦術・戦略ばかり。


戦後62年になろうとしている日本だが、
豊かな社会の成熟はどこへ行ったのだろうかと思うような現実がある。


中学校の国語教師として貴重な実践を残した大村はま波多野完治の、
往復書簡集がある。
大村はまは、日本国語教育界の至宝と言われ、
波多野完治は教育実践と心理学の連繋をはかる生涯教育を提唱した学者だった。


大村はまが、波多野完治の手紙に返信を送った書簡集の名は、
「22年目の返信」(小学館 2004)
そこに、大村はまがこんなことを書いている。
大村はまは、1906年生まれ。


「戦争はどんなに多くの人を情けない気持ちにさせ、
どれくらい深く人の心を傷つけたことか。
やりきれない気持ちになった現場の教師としては、
何を為すべきか。
国語科としては何が一番大切か。
当時は、『民主国家を建設するほかに日本が助かる道はないのだ』
ということが叫ばれました。
それを国語科として受け止めるとき何ができるかと言えば、
それは話し合いの力ではないのか。
すべての人が自分の意見を持って、
そしてしっかり話し合いができる国民がそろっていたなら、
戦争を避けることさえできたのではなかったか……。
しかし、『話し合い』などということは、当時は勉強の中には入っておりませんでした。
読書は入っておりましたが、
話し合いは、おしゃべりと称して軽視軽蔑されていたくらいです。
話し合いなど勉強の内に入っていない世界だったということ、
そういうことが日本を滅ばしたのではないかと
私は感じておりましたから、
戦後、話し合いの指導にはたいそう力を入れました。」


「私は中学一年の国語の第一時間目に、必ず
『いっぺんで聞くこと』
という話をいたしました。
『小学校は子どもの学校。
中学校は、大人の学校ではないけれど、大人になることを学ぶ学校。
大人の学校は子どもの学校とどこが違うのかと言えば、
話をいっぺんで聞くということ。
だから、みんなも私の話をいっぺんで聞くようにね。
その代わり私も、いっぺんでわかるように話す努力もしますから』
そう話して『聞く』ことをすべての学習のスタートにしたのでした。


時代は変わり、社会は変容する。
それだからこそ、
教育の遺産から学び、
継承発展させるべき実践はあまたある。