春節


       立ったままの列車の旅


中国では,今日から春節の休みが始まる。
今も旧正月を祝う中国、春節前になると、
長距離バスも列車も、帰省する人たちで大混雑だ。
千里の道も遠からず、何十時間もかけて故郷へ帰っていく。
日本に来ている留学生や、技能研修生たちも、望郷の思いやみがたく、
春節前夜、故郷の父母、夫や妻に電話をかけている。
四年前、中国・雲南昆明駅で夜行列車に乗ったことがあった。
春節前だった。
駅頭には、大袋に詰めたたくさんの荷物を持った労働者があふれ、
なかには、七輪のようなのを持った人もいた。
二日も三日もかけて、故郷へ帰る人もいる。


かつて、日本もそうだった。
お盆の前日や正月前に乗る長距離の夜行列車は、
都会から田舎の実家に帰る人たちでデッキにも人があふれていた。
あるとき、山へ入る日が帰省客と重なった。
夜行列車に乗り込んだときは、もうデッキから中に進めないほど満員だった。
工員として都会の工場で働いてきたらしい若い女の子たちが、
やはりデッキから車内へ一歩も入れない状態だった。
車内の通路も、立錐の余地もない。
一晩立ったままの状態で、信濃の国まで乗らなければならないか、
明日は朝から荷物をしょって歩かなければならないが、
これではどうしようもない。
この若い女の子たちも、こうして一晩立ったまま夜を明かすことになるか。
思案していたら、ひとつ考えついた。
二人がけの座席に三人座るということができないだろうか。
仲間が五人いた。
ぼくは提案して、車内の人たちに呼びかけることにした。
デッキから車内になんとか入り、いちばん手前の座席の肘掛に足をかけて立ち上がった。
そこから車内を見渡すと、通路は長い人の帯になっている。
「三人がけにして、一人でも多く座れるようにしてくれませんか。」
大声で、車内全部に聞こえるように叫んだ。
反応がない。
ぼくは肘掛の上を歩いてもう少しなかに入り、
もういちど座っている人に頼んでみた。
数人の人たちが、それに応えて通路の人を座席の間に座らせてくれた。
しかし、ほとんどの人は、無視。
中の一人が、声をあげた。
「私たちは、何時間も並んでここに座ることができた。
だから私たちは座る権利がある。」
それ以上話かけても無駄だとわかった。
ぼくはまたデッキにもどり、
そのまま立ったまま一晩列車に揺られていった。



多くの不足、多くの困難があって当たり前、
その状況を受け、そこから出発していくしかない。
それだけのこと。
そこから始まる。
現代は現代、今は今の困難がある。
そこをゼロの起点として、どうしていくか、考えていく。