蝶ヶ岳に登ってきた

10月18日 
 秋晴れの最高の天気の中、蝶ヶ岳に登ってきた。大阪・神戸からやってきた拓也たち3人と地元のケイ君、合わせて5人、土曜日の9時半、車で出発して三俣の登り口から山道に入った。「熊出没注意」の立て看板がある。ぼくはザックに熊よけのカウベルをつけカラコロンと鳴らしていく。ケイ君のは鈴で、チリジリンと鳴る。
 日に映える紅葉を眺めながら、老体のぼくが先頭にたって、ゆっくりペースで登っていった。最後の水場である力水で喉をうるおし、大阪のHさんとTさんは、食事の時にコーヒーをいれようと、水を専用のポリ袋に詰めた。ゴジラの頭の形そっくりの枯れ木の大かぶがあり、タコの脚のように地上に根っこを立ち上げている木がある。樹齢何百年だろうかと思える巨木がある。そんなところにくると、みんなはカメラを構える。ケイ君は初めてのアルプス登山だ。まめうち平という林間の広場で昼食をとった。ここまでは道はよく整備されていた。
 白樺の木はかなり葉を落としていた。カラマツは黄色く色づいていた。下りてくる登山者と挨拶を交わし、何組もの登山者が追い抜いていった。今年「喜寿」を迎えるぼく以外は40代、4人はぼくのゆっくりペースに合わせてくれる。次第に道が険しくなり、傾斜もきつくなっていった。汗がシャツを濡らす。下山してきた50過ぎに見える男性が、
 「あと1時間ぐらいで樹林地帯を抜けます。はいまつ地帯から稜線に出るとすごいですよ、槍がどーん」
 ケイ君をのぞく4人の頭に稜線の西にそびえる記憶の中の槍穂高の山群が浮かび、それを早く見たいと念じる。それからみんなは、「槍がどーん、槍がどーん」と言い出した。ぼくは穂高のほうがもっと壮大だと、
 「穂高がどーん、槍がぴーん」
と茶化すと、笑い声の絶えないパーティにまたげらげら笑いが起こった。道はずっと尾根の北側を通っているらしく日は当たらず、高度が上がるにつれて汗で濡れた肌着と上着のシャツが冷たくなってきた。悪路はペースが上がらない。背中の冷えた感じが気になる。持ってきていたエネルギー補充用のゼリー状飲み物を飲んだ。マラソンなどスポーツで飲むもののようだ。身体の冷えはコンディションに応えてきそうだった。
 右手に常念岳の頂上が見え、岩峰が陽に輝いている。高度が2300メートルぐらいだろうか、気温も下がった。歩いているから汗もかくが、体温はまったく上がらない。これは低体温症の前兆かもしれんぞ、御岳山で遭難者を捜索していた自衛隊員にも低体温症が出て、下山したというニュースがあった。
 「身体がすごく冷えている」
と後ろを振り向いてぼくは言う。
 「体温33度くらいみたい」
といいかげんに言ったのを聞いたHさんは、
 「体温33度だってー」
と驚き、体温33度に決まってしまった。
 拓也が着替えたほうがいい、と自分のザックから新しく開発されたものらしい肌着を出して手渡してくれた。マラソンのときにも着るもんだろうか。濡れたシャツを脱いで裸になると、ケイ君がタオルで背中を拭いてくれた。
 「77年間生きてきた身体だよ」
と言うと、
 「うん、77年の年季が入っていますよ」
と言った。拓也のを着、その上に持ってきていたウール混の肌着を重ね、薄手の防寒ベストとウインドブレーカーを着こむと、冷えた身体がほっとした。
 それから少し体温が上がり、歩くペースがもどった。これで低体温症にならずにすんだ。若いころの調子で、秋の高山をシャツ一枚とスポーツ着だけで登っていること自体間違っている。
 山頂は標高2,677m、ホーホーと周りに聞こえるような吐息をつきつつ登る。日差しが夕暮れの柔らかさを帯びてきた。やっと樹林地帯を抜け、はいまつ地帯に入る。
 「ヒュッテが見えたよー」
 Hさんが叫んだ。青空を背景に蝶ヶ岳ヒュッテが見える。いよいよ稜線だ。ハイマツの中を斜めにトラバースしていく。稜線に出た。
 どかーん、眼前に現われでた穂高の大岩峰、それは想像以上に大きなパノラマだった。前穂高、奥穂高涸沢岳、北穂高、連なる山並み。その右手に、大キレット、南岳、中岳、槍ヶ岳。太陽が山の背後に沈みつつあり、それらの山群はすでに黒いシルエットになっていた。
 ヒュッテに入って、受付に宿泊料を払い、部屋に荷物を置いてからまた外に出た。黒々と西に連なる山々、穂高の南に焼岳、乗鞍、そして、あの御嶽山が噴煙を空高く上げていた。ケイ君が、
 「富士山が見える」
と興奮している。東を見ると、眼下に安曇野、南に富士山、南アルプス、東に八ヶ岳浅間山だ。食事がすんでから、また外に出た。星空を眺める。カシオペア、北斗七星、白鳥座、西に名残りのサソリ座が見える。
 「あれは奥穂高小屋の灯かりや。その右、あれは北穂高小屋の灯かりや」
 槍の肩の小屋の灯かりも見えた。安曇野松本市内の夜景もきれいだった。(つづく)