そしてまた、山に向かう夜行列車の中で、「山の詩集」を取り出し、次の詩を口ずさむのだ。
山巓(さんてん)の気
汚邪(おや)の地を去って
山巓の気に立たう。
われらあまりにも
巷塵の濁悪(しょくあく)に慣れた。
聴け、天の声、
若い嵐が中空高く歌ひ出す、
喨々(りょうりょう)と空間を馳せ
雪にこだまし
星々に呼びかける。
ああ、平地!
われらあまりにも平地に棲んで
しなれたことをしすぎるよ!
詩(うた)よ
山巓の気に立たう。
私の息子が小学生の娘と二人、燕岳に登ってきた。お盆とあって、登山者は多かったが、そのなかに幼児や小学生もいたし、高齢者もいた。外国人の姿もあった。登山口まで迎えに行くと、燕山荘で一泊して、一夜明けて早朝、雲の切れ目から日の出を拝んだということだった。元気に孫娘は急登を登り、頂上に立った。
ぼくはもう膝が痛み、山に登れない。