パブリック・フット・パスの思想


   中国・武漢の教え子が来た


犀川の、白鳥の飛来地へ、まずは行ってみよう。
車に四人を乗せて、近くまで来たところが、昨年の大水で、
飛来地になっていた河川敷の白鳥湖が埋まってしまい、
鳥たちは他の場所に移っているという標識が出ていた。
しかたなく、明科の飛来地の方へ向うと、
田んぼ道に数台車が止まっていて、人の姿が見えた。
白鳥だと直感して、行ってみると案の定白鳥が群れを成して、
水の張っていない田んぼに集まって、羽を休めてくつろいでいる。
土をついばむものや、うずくまるもの、歩くもの、羽を広げるもの、
グレイの幼鳥も混じっている。
およそ170羽いた。
見物人は、シベリヤからの遠来の客を、珍しさといたわりの気持ちで、静かに眺めている。
白鳥たちには、人を恐れる気配はなかった。
四人は、デジタルカメラを向けて撮っている。
彼女たちは、東京から今朝、バスでやってきた武漢大学での教え子で、三年半ぶりの再会だった。
四人は日本に留学してきて三年、三人は東京の大学院、一人は日本企業に就職している。


明科の犀川河川敷の御宝田池に行ってみた。
おびただしい数のカモの群れが、池の中や、河原にいる。
池から上がってきたカモたちは、足もとにまで寄ってきて、
通りすぎていったり、毛づくろいをしたり、人を見上げたりする。
池に行き着くまでに、河原を歩いている百羽以上のカモに出会い、
やあ、こんにちは。
四人は、出会うカモたちを撮影するのに熱心で、なかなか池まで到達しない。
食パンを3斤も持ってきて、ちぎってカモにやっている若者がいた。
6種類ほどのカモたちは、ぞくぞくと陸に上がってきて、パンをくれる人の周りを埋めている。
池には白鷺も十羽ほどいるが、彼らは人間に近づこうとしない。
トビの群れが空を舞いつつ、
カモが餌をくわえているのを見ると、時おり急降下してカモの頭をかすめて餌を奪おうとする。
カモは攻撃を逃れて逃げる。
白鳥は、夕方、ここに帰ってくるのだろう、
一羽もいなかった。
カモのつぶら瞳やしぐさを目の当たりにすると、
てのひらを差し出して、コミュニケートしたくなってくる。


帰り道、大王わさび田に寄った。
万井川の清流のほとりに、水車が回っている。
黒澤明が愛し撮影したという安曇野の原風景も、その背景に工場があり、
煙突が一本、葉を落とした雑木林の梢のうえで白い煙か水蒸気を吐いている。
砂利床の上を清流が流れるわさび田に入り、じょれんで砂利をすくって作業をしている人たちがいた。
高く枝を広げる雑木林の間を掘って、わさび田がつくられている。
その中を散策するだけで、信濃が感じられた。


早春賦の歌碑が、わさび田の近くにある。
川の堤に歌詞と曲の碑が建っている。
碑のそばにオルゴールがしつらえられ、ボタンを押すと、早春賦のメロディが流れた。
何度もそれを伴奏にして歌った。
早春賦は、学生たちに武漢で教え一緒に歌った歌のひとつだから、彼女たちの記憶の中に歌は残っている。
早春賦は安曇野を舞台にして作られ、多くの日本人に愛されてきた。
たしかこの歌碑の前でも早春賦音楽祭が春に開かれるはずだ。
日が沈み、雪の爺が岳鹿島槍が岳、五龍岳が夕日に染まって、北の天を彩っている。
気温がたちまち下がってきた。


翌日、穂高有明の林の中に、おもしろい店があるというのでまずはそこへ行った。
「作家屋」と名づけられた、小さな山小屋風の店が松林の中にあり、数坪の空間に所狭しと雑貨が置いてある。
天井からもぶらさがっているもの、足元に置かれたもの、自分の身体を動かすときに、引っ掛けないように気を使った。
民芸品、生活用品、陶器、衣類なんでもあり、種類の多さに圧倒される。
シェさんが、故郷のお父さんへのお土産だと言って、琺瑯の洗面器を、
チュさんが、毛糸の帽子を買った。
四人が洋子へのプレゼントと言って、木の枝に引き出しを造った小物入れを買ってくれた。
ぼくはその店のオリジナル珈琲と、インドの鈴、ネパールの版画カレンダーを買った。
午後は、洋子が四人を穂高の林の中の足湯に案内し、ハーブの店に寄って、ほかほか暖まって帰って来た。
この日のために用意しておいた、我が家での百人一首の会は、その後実現した。
彼女たちは初めての体験、知らない和歌ばかりだが、やっているうちに盛り上がる。
途中で作戦会議をいれ、下の句を見つけるのも速くなった。


結局、天蚕センター、美術館めぐりは、時間切れになり、行けなかった。
夕方、洋子と一緒に自分たちでつくったおにぎり弁当を持って、四人は東京へもどっていった。
彼女たちの一泊二日、我が家訪問、安曇野の旅は終わった。


安曇野、この広い自然環境と生活空間をどのように保存し、
調和の取れた美しい風土につくりあげていくか、
安曇野市の大きな課題になっている。
時代がすすめてきた建設と破壊、そして保存が、いたるところで不協和音を発している。
イングランドコッツウォルズの田園地帯のように、
今後100年経っても、この風土の美と豊かな人間の暮らし方は変わらない、とする思想の共有は、
目先の利害に左右されず、遠い未来を展望して構想を練り、
いまできることを、着実に実現していく市民の営為から始まる。
安曇野は、「パブリック・フット・パス」の思想を具体的に推し進めることが可能なところだ。
網の目のように、歩く人のための小道を、安曇野全部にはりめぐらす。
既設の道を利用して作っていくのだから、費用は掛からない。
歩くことを楽しみ、景観を愛で、自然と農に触れ、人と出会う、心やすらぐ小道、
ウォーカーは、山、森、村、人、家、庭、美術館、博物館、工房、店、畑、作物、かかし、道祖神、野の花、虫、鳥、雲、空、風、
あらゆるものに心と体で出会う。
「パブリック・フット・パス」を市民みんなでつくっていく思想を共有して、その一歩を踏み出したとき、
市民の考え方と行動、安曇野のイメージは根底から変わるだろう。
安曇野は、自然と人間の里として呼吸し始めるだろう。