ホームレス難民キャンプ


        新たな文化の発祥地
       

フランスでもホームレスが増えており、
ニュースで見るパリの川沿いには、ドーム型のカラフルなテントがえんえん列をなして並んでいる。
仕事があっても住宅がない、家賃が高くて借りることができない、
そういう人の多いのがパリの特徴のようだ。
テントは、支援する市民たちが贈ったもので、
支援者は、一夜テントで過ごす体験をしてみて、
ことのほかパリの寒さが身にしみたという。
シラク大統領は、即刻住宅を保証しなければならないと言明、政府に指示を出している。
一方、公園などに住む日本のホームレスは、もっぱらダンボールを壁材にして、
ブルーシートで覆うやり方のハウスをつくり、日本人らしく、技も発揮している。
暖房を工夫したり、ペットを飼ったり、アイデアが豊かだ。
ホームレスから脱却するための仕事につきたいが、
それが困難なために定住してしまう。
定住するホームレスが、まとまった数になれば、
共同体的な文化が立ちのぼってくる。
自分を閉ざして他者との関係を絶っていても、
そこ集まってくる限り、ゆるやかな相互援助が動き出す。
個々の得意技や知恵、人情が動き出し、伝播する。
食べ物や現金を得る手立ての共有が起こる。



ぼくが大きなボストンバッグを抱えて、
名古屋市内を歩いていたら、ビルの脇がねぐらの男からとつぜん声をかけられた。
「兄ちゃん、仕事探してんの?」
岐阜駅前の地下道では、寝具をたたんでいた男があいさつしてきた。
「よう、今日は、あたたかいな。」
声をかけられて、いやな気持ちがしなかった。
おなじ地平に生きているものだと、
オレの風体を見て判断したからだろうなあと思うと、
むしろ愉快な気分だった。
このときの話を日本語教師の会で話したとき、大笑いされた。



公園を占拠するのは迷惑だからと、ホームレスを追い出す自治体が多くなった。
そこで、都会の中を少しでも安息の場を得ようと探して探して、
コンクリートジャングルの谷間、
わずかなオアシスにダンボールを敷く。
そこを襲われた事件が最近あった。
歴史を振り返れば、
かの大戦の日本の戦災地には被災者のバラックがひしめいた。
いまも世界の戦争の地には、被害者たちがあつまる難民キャンプができている。
裸の状態で、人は集まり、そこに定住し、そこから脱却していく。
現代のホームレスは、現代社会、現代文明から疎外され、排除され、脱落してきた人たちであり、
格差社会のもっとも不利な条件にほんろうされてきた人たちの、現代文明難民キャンプとも言える。
家族関係や、仕事関係で、破綻して、居場所のなくなった人たちもいよう。
むかし、庵をむすんだ世捨て人がいたが、
束縛もいさかいもない、世の中のわずらわしさや、絶望感から逃れたい心境の人もいるだろう。
そしてまた、再び現代社会に復帰して、安穏な生活を送りたいと願う人たちが圧倒的に多いだろう。
この前の事件の被害者は、高齢者だった。



とりあえずホームレスが安心してシートハウスをつくれる場所を、都市の中に用意できないか。
自治体が一時的な宿舎を用意して貸し出すところもあるが、
いずれも限界がある。
行政は、公園から排除するのでなく、
公共トイレと、炊事場と、シャワー室ぐらいは、完備して、
ここはどうぞご自由に、という安全な場所を用意できないものか。
ホームレス村は、相互扶助の自治組織をつくって、運営する、
都市の中の、新しい底辺空間。
一時期、そこに集い、力を得て、飛び立っていくことのできるところ。
枯渇した現代の中の、新たな人間文化の発祥地。