上高地小梨平キャンプ場でクマ襲撃

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 コロナで人が激減している。上高地の小梨平キャンプ場にテントを張って寝ていた人を、クマが襲ったというニュース報道があった。キャンパーの食料を獲ろうとしたらしい。

 例年なら、人ばぞろぞろ、キャンプ場は大にぎわい、クマが出没するなんてありえない。

 

 小梨平と聞いて、思い出した。

 昔、「上高地の大将」と呼ばれた人がいた。木村殖さん。彼は当時、帝国ホテルの管理をしていて、冬も上高地に住んでいた。出身は、今の安曇野市堀金だった。

 1960年、3月、僕と北さんは島々から雪の中を歩いて上高地に入り、木村さんの山小屋に一晩泊めてもらった。上高地は冬は孤絶して無人になるが、木村殖さんは冬もそこで暮らしていた。彼は二十歳の時軍隊に入り、兵役を終えて昭和二年から上高地に住んでいる。

 囲炉裏の端でおやじは思い出話をした。

「猟はさんざんやったずら。遭難救助もやった。

 昭和六年に小梨平事件というのがあってな。小梨平キャンプ場で若い連中が、ジャズのレコードをかけたり、ダンスをしたり、派手な服装で騒ぎまくっていた。それを見た大学山岳部の連中が怒って襲撃し、テントなんかを梓川にほり込んでしもうた。」

 戦前の昭和六年、1931年に、すでにそんな若者がいて、文化の衝突が起きていたのかと、聞いて驚いた。現代と同じだ。

 「当時は軍国主義激化の時代じゃったが、大正デモクラシーのあとにエログロナンセンスがやってきて、あの事件はまあ言うなら軟派と硬派の衝突じゃったな。」

 

 88年も昔のこと、それ以降も上高地は時代を表している。