無知から来る差別

 街頭やインターネットで、「朝鮮人のババア」、とののしられた在日朝鮮人のご婦人が訴えた裁判で、大阪地方裁判所は、
「差別を助長し、増幅させることを意図したものである。人格権を違法に侵害するものであり、人種差別撤廃条約の趣旨に反した侮辱行為である」
として訴えを認め、裁判に訴えたご婦人に損害賠償金を支払うように命じた。被告は、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)と桜井誠
 在特会ヘイトスピーチは、陰惨で暴力的なもので、このご婦人は、人間としての尊厳を否定する差別の標的にされた。その精神的な傷は、判決の77万円の賠償金で購われるようなものではない。
 白昼公然と、「殺せ」「日本から出ていけ」と、叫びながらデモをする。こんなデモがまかり通っている日本という国。

 最近、古代史研究者の書を数冊読んだ。
 「ヤマトタケル伝説と日本古代国家」(石渡信一郎 三一書房
 「女王卑弥呼の国」(鳥越憲三郎 中公叢書)
 上田正昭の書、数冊
 驚嘆した。古代に、おびただしい数の朝鮮からの渡来があったことの実態である。
 「百済人」「新羅人」「高句麗人」「加羅任那)人」‥‥
 古代に日本と交流のあった、最も近い国は朝鮮の国で、渡来人が多いということは知識としては持っていたけれど、驚いたのは、史跡・遺跡、文献などから判明してきた渡来人と日本との関係はひじょうに濃厚で、文化の伝来者であると同時に、日本に定住して、政治を援助し、日本の文化を創っていくリーダー的な役割も果たしたということなのだ。渡来人がもたらしたものとして、
 漢字を伝えた。
 仏教を伝えた。
 鉄の技術を伝えた。
 須恵器などの陶器を伝えた。
 彫刻、建築に力を発揮した。
 などなど、いろいろある。当時は中国という先進国があり、朝鮮はその影響も受けて朝鮮文化を育んだ。朝鮮は先進国だった。水は高い方から低い方へ流れる。文化も同じく流れた。
 そこで、いま自分は古代に生きていると想像する。するといろんな疑問が湧いてくる。この疑問に対して「想像してみよう」が学校の授業で必要なのだ。
 多くの学校で教える歴史は、
「いつ、どこで、何があったか」
「何が起こったか。だれがしたか」、
 そういう「ことがら」が中心になっている。だから無味乾燥で、断片的知識になってしまう。重要なのは、
「何故そうなったのか? 何故そうしたのか?」
「どのようにして、それをしたのか?」
ということだろう。 
 古代日本には朝鮮からの渡来人が多かった。このことの奥に、なぜ日本に来ようとしたのか、という問題が潜んでいる。それを想像しながら史料をもとに解明しようとする授業が、学問としての授業ではないか。
 人類はこの地球に誕生して、世界に広がっていった。生きのびるために、現在を守りながら、常に別の世界を夢見た。今住んでいるところが安住の地であればそこを故郷とし、そこが住みにくく、安全が脅かされれば、新天地を求める。
 古代の文化の伝播は、情報だけの伝播ではなかったろう。技術は経験者、専門家がやって見せて伝わる。さらにそれを伝えるには、そこに定住して実践しなければできない。原住民とともに暮らす移住民にならなければ、文化は受け入れられず、伝わりもしない。その土地の人になる、その国の人になる、そういう渡来人たちが、日本の古代において大きな役割を果たし、国づくりに貢献した。
 唐と新羅の連合軍との戦争で百済が滅んだ。国を失った百済の人たちは何を考えただろうと、授業の中で想像する。百済人は倭国へ行ってみようと考えた。そうして倭国へ来た人たちもいる。その数は正確には分からないが、たぶん相当な数だったのではないか。現在日本の中の渡来を示す遺跡、史料を授業で取り上げる。今の世界情勢の難民の状況から想像してみる。生徒たちは何を思うだろう。何に気づくだろう。
 当時の倭国の人口はどれぐらいだったろうか。そして渡来人は、何百人、何千人、何万人……、いったいどれぐらいの人が日本に移住したのか。
 そしてまた、それらに人はどんな船に乗って来たのか。航海の技術は安全を保てたのか。現代のシリア難民は、小さなボートにぎっしりすし詰めで海を渡った。たくさんの人が死んだ。

 「ヤマトタケル伝説と日本古代国家」で石渡信一郎は、こう書いている。
 「弥生時代から古墳時代にかけて、近畿地方朝鮮半島南部から大量渡来があったことは、1960年代から人類学者によって指摘されているが、日本の古代国家が朝鮮系渡来人の国家であると唱える古代史学・考古学の『権威』は現在一人もいない。古代史学者・考古学者が日本人単一民族論の影響から抜け切れていないからである。古代史学界・考古学界では、弥生人が渡来したことをようやく認めるようになったばかりであり、弥生人は中国の江南地方や山東半島から渡来したという説を唱える学者さえいる。こうした説は、韓国・朝鮮人への差別意識の産物である。」

 石渡氏は膨大な史料を分析し、考証し、「応神天皇百済倭国を建設し、その初代大王となった、応神天皇がヤマト王朝の始祖である」という仮説を立てた。

 朝鮮人差別を広言してはばからない人たちがいる。この現実は、現代社会における空洞化した歴史教育の産物であろう。近現代の日本の歴史とともに、古代についても学ばねばならないと思う。