白鳥を見に行く 


       白鳥と穂高神社


白鳥を見に行こうか、それから穂高神社の初詣しよう、
元日の午後家族で出かけた。
白鳥は、車で十分ほどの川と田んぼに来ているらしい。
地図で確認して出かけたが、現場近くまで来て地図を家に置いてきたことに気づいた。
この辺りと思しき辺りへ行ったが、地形が複雑で分からない。
穂高駅の駅員に訊けば分かるだろうと、駅に行って訊いてみた。
二人の駅員は、たぶん豊科の川に来ていますよ、と頼りない返事。
駅前タクシーの運転手に訊いたら、「いるだ、いるだ」と、信州弁で熱心に答えてくれた。
「日が沈むまで行かねと、帰ってしまうだ。」
四時ごろ、田んぼから川に帰るということだった。
運転手の教えてくれた辺りの田んぼに行った。
いた、いた、数十羽の白鳥と、百羽近いカモが水田の水に浮かんでいる。
取り入れの済んだ後の一枚の大きな田んぼに、水が入り、
そこが餌場になって、鳥たちが集ってきているのだった。
鳥たちを世話する人がいるらしい。
怪我をして飛べなくなった二羽の白鳥が、
隣の畑に作られたビニールハウスで保護されている。
三時半ごろ、カモたちが十羽ほどの群れで、飛び立ち始めた。
続いて、数羽の白鳥が、川に帰りだした。
白鳥の飛翔はさすがに雄大なものだ。
最後に、二十羽ほどの白鳥が残った。
群れの中のリーダーから飛び立つ合図があるように思える。
急速に下がってきた気温のなかで、観察していた。
あれあれと思う間に、一つの群れは、それまでのリラックスした個々の動きから、瞬時に態勢を整えて、飛翔に移った。
日は西の山に沈んで、茜色が広がる。
残りの群れのリーダーらしきおおがらな白鳥が立ち上がり、首を伸ばして、クオ、クオと鳴く。
それが、行くよ、行くよ、と聞こえる。
それでも、みんなが同意しないと動かない。
みんなの気持ちがほぼ一致したと見えたとき、群れは水面を足でたたきながら滑りだし、
夕空に舞い上がった。
毎日そこに世話しに来ている人なのか、白鳥ファンなのか、
ヤッケを着た一人の小太りのおじさんが、強い信州訛で、話し掛けてくる。
去年は、六百七十五羽来た、今年は少ない、あした来い、あした来い、と言う。
鳥を見に来た一人一人に話し掛けている。
体が冷えた。


穂高神社は、人出が多かった。
ところ変われば品変わる、人情も変わる、習慣も変わる。
いくつかの発見があって、おもしろかった。
参拝客が、長々と列をなして並んで待ち、拝殿に来てきちんと参拝しているのには、驚いた。
びしっとした隊列ではないが、ほぼ四、五人の幅で、百メートルほどの長さの列になって順番を待ち拝殿前に並ぶ。
さらに驚いたのは、お祓いをしてもらう車の列が、これまた数百メートルほど行儀よく並んで待っている。
クレープとかたこ焼きとか、屋台の店で買う人たちも、並んで待っている。
関西では考えられないなあ、待てない連中の多い大阪では、考えられない。
神社の一角に、古い道祖神の集った小道もあった。
異なる特徴をもつ夫婦の道祖神を見るのは楽しい。
小道のはずれに、戦没学徒らしき人の遺書が書かれた板が立てられていた。
渾然たる融合が不思議におもしろい。