野生をとりもどす(1)


    今、子どもに欠けているもの


おさかな博士が言っていたことだったが、
水槽のなかに閉じこめられた自然界の魚は、
一匹の魚を集団でつつき回すようになることがあるとか。
日本の子どもも、
限定された空間から自由に離陸できない状態がつづくと、
エネルギーを外に発散せずに、内に発散させてしまうことになる。


朝日新聞でも、文化人類学の稲村哲也氏がこんなことを書いていた。


社会には反抗や逸脱の仕組みも必要で、
それが柔軟さや変化を生む。
強圧的に管理すれば、ストレスは弱者に向かう。
今の日本は、自己家畜化が高じた自縄自縛状態である。
社会の中に「野生」を少しはとりもどす必要があるだろう。
夏のモンゴル高原では、家族で家畜の乳搾りに精を出し、
隣でじいさんと孫が相撲に興じる。
しかし、厳寒の冬には吹雪が舞う。
総出で子羊の群れをゲルに導き入れ、
火を焚いて皆で温まる。
子どもは大人たちの強さと優しさを知り、
「共同」を学ぶ。
日本でいま欠けているのは、
そうした幼児期からの「学習」だ。
欠如が世代を超えて連鎖する。
自然も家庭も地域も「学習」の場を提供できないのが現実なら、
初等教育にその機能の一部を持たせたらどうか。
たとえば、都会と田舎の学校が一時期生徒を交換する
「遊牧システム」はどうだろう。
農作業体験や野外の自炊体験もいい。
都会の学校には「実験農場」や「自然遊園」がほしい。


稲村氏はこのように書いておられる。
この体験は不可欠なことだとぼくは常々思っている。
「公」の学校システムのなかに、
ある程度の長さと濃さをもった、野生体験を導入して、
自然への飛翔の自由を子どもの世界に与えなければならない。
それがあって、子どもは仲間というものをとらえだし、
「共に」の精神と実践力を取り戻すことになる。