「自然体験論 農山村における自然学校の理論」(野田恵)


 1977年生まれだから、今年は36歳になる人だ。その野田恵さんの「自然体験論 農山村における自然学校の理論」を読んだ。
 著者はあとがきにこう記している。

 「『現場に役立つ研究をしたい。ここで修業させてください。』
 そんな言葉で山村留学『だいだらぼっち』の門をたたいたのは、10年ほど前の冬の日だったと思う。私はすでに環境教育について学び、研究を志してはいたが、自分のやっていることが机上の空論におちいっているような気がしていた。グリーンウッド自然体験教育センターの実践『だいだらぼっち』を紹介され、縁あってそこに来た。
 初めて訪れた『だいだらぼっち』の母屋は薄暗く、尋常じゃないほどのたくさんの長靴が並ぶ異様な光景で、ここに1年間いるのかと思うと言い知れぬ不安が頭をもたげ、宿舎の風呂で一人泣いたことをおぼえている。泣くほどいやなら来なきゃいいのに、しかし、私は冒頭の言葉を抱えて泰阜村へやってきた。ここでどんな『経験』が待ち構えているのか分からない。いま思えば、未来の自分へ『賭け』たのだと思う。
 結局、3年間みっちり修業させていただいた後、古巣の東京農工大学大学院博士課程に進学した。そして5年間かけてまとめ上げたのが本書である。」

 長野県下伊那郡泰阜村にある自然学校、NPO団体グリーンウッドの山村留学事業の「暮らしの学校だいだらぼっち」という現場に飛び込んで体験を積んだ著者の研究は学術的にも深いものがある。
 著者が紹介する「だいだらぼっち」は始まってから20年以上がたち、卒業生はすでに300人以上になる。「暮らしの学校」であるから子どもたちの主体性を発揮させる自由度の高いプログラムが組まれ、子どもたちはプログラムに従って行動するのではなく、自分たちで活動予定を決めてゆく。従ってキャンプの期間が長期になるほど、自分たちで遊びや仲間や生活をつくる楽しさが芽生える。夏休みを利用した短期の組織キャンプから始まり、一ヶ月の長期キャンプになり、それから自分たちで暮らしを作るという方向性が生まれた。そして山村留学の形式に発展した。
 「だいだらぼっち」は、4月から始まる。「だいだらぼっち」の専従スタッフは5人。そこに適宜グリーンウッドのスタッフも加わる。
 「だいだらぼっち」は、地域に根ざし暮らしから学ぶことを理念にしていて、地域文化に根ざした素朴な自然体験を中心にしている。風呂もストーブも薪で焚く。薪は山から運び出し、農作業を行ない、登山をしたり川遊びをしたりする。子どもが主役、生活や活動については子どもたちで話し合って決める。大人のスタッフは、「相談員」である。

 「とにかく、風呂焚きは大好きでした。焚き付けの新聞を丸めて、その丸め方を研究して、いろいろ試したりしました。炊きつけも、いろいろなやり方があります。ナタも使いこなしてくると、薪を最初に全部割らずに下のほうをちょっと残しておいて、それを反対にしてその割れ目とクロスするように刃を入れると、一気に4つに割れるんです。薪割りや風呂焚きは大好きで、自分で風呂焚き名人と言っていた記憶がありますね。」(「だいだらぼっち」卒業生)

 著者は、こう論じている。
 「いろいろ試す経験を通じ、その行為と結果、諸事物の関係はますます認知される。『風呂焚き名人』というほど熟練する間に、さまざまなことを試み、さまざまな結果を得ていたことは想像に難くない。もしこれが電気を使って自動で焚く風呂であったらどうであろうか。スイッチを押せば温かいお湯が出る、そこには試みること発見することがない、経験を通じて意味が増えていくことはない。
 自然は、人間の期待や意図や予測とはお構いなく、『おのずからのままに展開する』独立性を持つ。それが思いがけない楽しさを与えてくれることもある。
 自然に働きかけ、いろいろ試み、経験し、結果を得る。その対象との相互作用から意味を獲得する。
 炭焼きという共同作業、ツリーハウスを建設する共同作業、そういう共同作業を通して協力し合うことは、社会を形成するために、共通に持っていなければならない理想や希望や期待や規範や意見等を伝達していくことなのである。」

 「自然は、人間の期待や意図や予測とはお構いなく、『おのずからのままに展開する』独立性を持つ」という説明の付いた写真が載っている。その写真は、4メートルほどの高さの岸から男の子たちが川に飛び込んでいる写真だった。

 この記録は、学術論文として書かれたものであろうか。デューイなど、多くの学者の論も取り上げ、参考文献も多く、横書きで用語も文体も論文調であるために読みづらさ、理解の難しさもあった。しかし、この自然体験論が出版された意義は大きい。