灰谷健次郎、木下順二


      訃報、灰谷健次郎木下順二


この秋、灰谷健次郎が逝き、木下順二が亡くなった。
灰谷の死は思いもかけないことだった。
灰谷はまだ若い。
九十二才で去った木下順二の年まで二十年あった。
この時代、まだまだ逝くべきではなかった。
書くべきだった。
無念の思いがそう思わせる。
淡路島に移ったとき、灰谷は、
人間一人生きていくのに必要な作物を得るには
そんなに広い土地は要らないと、
自給自足の生活をとおして発見したことを書いていたが、
そのころは元気そうだった。
沖縄の渡嘉敷島に移住してからも、作家生活を続けていたようだが、
最近動きがわからないなあと思っていたら、
とつぜんの訃報だった。
灰谷は、
「子どもは人類の原型である」
という考え方を持っていた。
豊かな創造性をもった生き物である子ども、
その子どもたちのもっている宝物を、
現代社会は阻害し、破壊する。
灰谷は自ら背負ってきた悲惨から、
踏みにじられながらも生きようとする、
子どもの原型を描いた。


灰谷の死からしばらくして、木下順二が逝った。
木下順二原作の「夕鶴」、
山本安英の扮する「つう」の舞台をかつて観た。
雪深い村、子どもたちの歌声が聞こえる。
「つう」は、欲望の虜になった与ひょうの言葉が聞き取れなくなる。
「え? 何ていったの? 
あんたのいうことが、なんにもわからない。
口の動くのが見えるだけ。声が聞こえるだけ…」
金、権力、人間の欲望は、底が知れない。
雪、「つう」、子どもたちは、白く哀しい。
現代文明のグローバリズムの浪は、
原型としての人間を翻弄してとどまるところがない。
与ひょうもまたもともと原型であった。


木下順二は、遺灰を海にまく「自然葬」を希望していたとか。
たぶん沖縄の海にまかれるだろう。