犬飼道子の体験


       荒療治のように見える優しさ


犬飼道子が若い頃、アメリカに留学していたとき、
重い結核にかかった。
彼女は三年間、療養所で暮らした。
そのときの主治医は、
ジョン・ウェインのような単純で頑固な西部男で、
療養する犬飼を荒々しく、しかし優しく教育した。


主治医は、胸のレントゲン写真を彼女に見せ、
あんたの肺は半分死にかかっている、
それが事実だ、
よくなるか、駄目になるか、
駄目だと分かったら教えるから準備しろ、
一割は薬が治す、
一割は医者が治す、
八割が自分で治す、
と言って、
一時間かかって、結核菌というものについて、事細かに語り、
自分の体験から、
どんな性格の患者がどんな耐え方をしたか、
耐えきれずに病んでいった患者はどんな性格であったか、
自己憐憫ほど病気によくないものはない、
と語って、
さあ、いま言ったことをおまえ自身にあてはめて考えてみろ、
これからどのようにして療養していくか、
わかるはずだと、突き放した。
療養心得を自分で編み出せぬようなら、
タクシーを呼んでやるから出ていけ。


犬飼は、その医者が教えてくれたのは、
独立自主の開拓精神だったと回想する。
犬飼が、療養費を生み出すために、
編み物を始めると、
その編み物、全部買うよ、
と言って、財布を取りだしたと言う。


独り立ちできる精神を作り上げていくためには、
やはりそのような教育が必要となる。
親の愛情に抱かれた段階から、
子どもが自立していくように親の愛情で育んでいく過程があって、
子どもは強靱に育つ。
いきなり放任しても、別なものが育ってしまう。


自立していくようにしていく教育には、
当然ストレスがかかる。
だからストレスを超えていく力を育てる、
そのために前段となる教育が必要なのだと思う。
そのことを考えない子育てで、
どんな人格が生まれてくるだろうか。
ストレスに立ち向かえない子にしておいて、
ストレスばかりが子どもに覆い被さる、
それにうちひしがれる子どもは、立ち上がれない。


荒療治のように見えるが、かぎりなく優しい、
そういう教育が子どもを強くする。