ナバホの子どもたち


       ノートの中


十年ほど前、
ぼくは、印象に残った本の記事をノートに書き写していた。
そのノートの中に、
「大地とともに インディアンと暮らして」(本間正樹)という見出しを付けた記事があった。
それを拾い出してみると、こんなことだった。


 〈ナバホの子どもたちは毎朝日の出とともに起きて、
 砂漠を走る。
 冬でも上半身裸になって。
 そうすると「夜明けの精」が喜んで、体を丈夫にし、
 心を健やかにし、
 幸運を授けてくれる。
 精霊の力がもっとも強く働くのは、
 日の出とともになのだ。


 自然界のすべてのもの、けものや鳥、魚、虫など生き物はもちろん、
 草木、太陽、月、石にいたるまで、
 精霊が宿る。
 冬になって水がこおるようになると、
 遠くにある池までかけっこをし、
 池の氷を割って水にとびこむのです。
 しりごみする子は、年かさの子が首根っこをつかまえて、
 むりやり水に入れたりします。
 氷の下には、健康と幸運がかくされている。
 だから氷を割ってとびこみ、それを身につけて帰ってくるというわけです。
 帰りももちろん家まで走ります。
 冷たい氷のかけらを、素手でもちかえるように、いわれる日もあったそうです。

 トウモロコシの種は、一ヵ所に十粒も二十粒もまく。
 そのうちの半分は鳥や虫が食べる分。
 地上の生物は、動物も植物もすべて仲間、
 どんな生き物にもそれぞれ平等に生きる場があり、
 たがいに助け合っているのだというのが、
 昔からのナバホの人たちの考え方でした。〉


次は、宮台真司の文章。こんなことを書いている。


 〈大人はひたすら子どもの安全ばかり願い、
 失敗可能性のあるチャレンジを嫌う。
 一つには、チャレンジよりも、
 同調が成果を生みやすい農耕文化的な伝統があり、
 もう一つは、国民的な目標のある近代過渡期には、
 皆が進む方向に進むことが、
 成果を生みやすいことがある。
 しかし、近代成熟期では違う。
 同調よりもチャレンジが成果を生みやすくなる。
 皆が進む方向に進めば、自分が幸福になることもなく、
 失敗からの学習を願う必要がある。
 より多く挑戦して失敗しろ。
 でも何があっても帰れるホームベースは用意しておく、
 これが責任ある大人の態度である。〉


安全を願ってハコのなかに入れておいたら、
ハコの外へ出られず、
ハコの中でつつき合う子どもたちになってしまった。
ハコから出しても、冒険の出来ない子どもになってしまった。 
冒険させても、けがばかりするようになってしまった。