秋深まる


       冬近し


地区の人びとによる農道の草取りがあった。
各戸からひとりずつ出て、
早朝一時間ほど、鎌や鍬で道端の草を取り除いていく。
奈良の葛城路に住んでいたときは、「道づくり」と称して、
住居区の道端の美化と草取りをする作業だった。
安曇野でのはじめての共同作業、
たいした作業ではない。
たまには顔を合わせようか、
そんな場。
腰の曲がったおばあちゃんも参加している。


途中に小さな実の成る柿の木があった。
親指の爪ほどのこげ茶色の実が、落葉した木全体に無数に成っている。
見た目には柿に見えないが、幹は柿の木だ。
「この実を子どもの頃はおやつによく食べただが」、
と言いながら、一人のおじさんが取って口に入れている。
ぼくも取って食べてみたら干し柿の味がした。
なるほど柿の実だね。
「小柿と言うだが、今ではだれも食べないな。」
いやいや、これはけっこうおいしいですよ。
今はこういうのを食べない文明になってしまっているんだなあ。


11月15日からフジという品種のリンゴの収穫が始まった。
この春摘果作業を手伝ったアキオさんの農場へ行って一本分を収穫した。
低いところの実は洋子がとり、ぼくは脚立に乗って高い枝の実をとった。
ずしりと蜜を含んだリンゴ一個の、
ほれぼれするほど見事な紅い玉の手ごたえ。
9月に、勤務地の岐阜のスーパーで買って毎日一個食べたツガルはボケボケの味だったが、
アキオさんの農場のフジの味は濃く、新鮮。
寒さが増すにつれて、フジはたっぷり甘い果汁をたくわえる。


ガレージ兼納屋の屋根を葺き終えた。
安くて、長持ちして、軽く、作業しやすいガルバリウム鋼板、
一枚一枚屋根に持ち上げて、
傘釘を打っていく。
全部で26枚。
晴れた日中は屋根上も暖かい。
屋根から眺める野沢菜の畑では家族総出で収穫が行なわれている。
午後3時から4時、急転直下寒さがおそってきて、
背中と脚からしんしんと冷えてくる。
手元が暗くなるまで屋根をはって、はしごを降りる。
夕日を受けて輝いていた白銀の鹿島槍が岳の双峰も夕闇にかすんでしまった。


お元気ですか、
愛知県の企業で働くミンシャから電話があった。
一箇月前、研修所で教えた研修生、
いちばん覚えが遅かった若いお母さん、
毎日補修をしたことが彼女を元気付けた。
「日本語上手になりましたね。」
ほめるとまたまたうれしそう。


山麓線の道端に、生きた天然タニシ販売の小さな看板が出ていた。
車の修理が本業で、タニシをどこからかとってきて売っている。
洋子が店にはいって、どこでとれるか訊ねたら、
「企業秘密」と答えたと。
タニシがほしいと言っていた、栃木の綾子ばばへ、
一パック買って洋子が送った。