子ども集団の今(4)


     問題のとらえかた


よいクラスは、問題が起きないクラス?
悪いクラスは、問題が起こるクラス?
いいや、そうとは言えない。
問題が起こっているがよいクラスもある。
問題が起こっていないけれども、よいとはいえないクラスがある。


問題が起こるクラスは、手が掛かるし、疲れるし、まとまらないし、学習も深まらない。
問題の多いクラスの担任は、親からも信頼されないし、管理職からは批判されるし、
同僚からも低く評価される。
問題のあるクラスを担任しているときは、他者の目が気になる。
このごろ追い討ちをかけるのが行政の評価だ。
学級崩壊のクラス担任は、ストレスで心身がずたずたになってしまう。


しかし、問題の起こらないクラスなんてありえない。
問題が起こらないように見えていても、
問題を表面化させないようにするという指導もこれまであった。
本の学校教育は、1945年の敗戦を契機に変わるが、
変わらないで生き残ってきた古い体質があった。
その一つが体罰を伴う規律指導だった。
それは、上下関係や命令と服従を重視する指導によって、
学校の規律や秩序を保とうとする。
問題を起こすな、
問題を押さえ込め、
問題が起こるのは指導性がないからだ、と。


それに対して、学級集団づくり、仲間づくりの実践の歴史は、
むしろ問題を大切にした。
児童生徒の自主性、自発性を大切にすると、
その指導過程で、問題が顕在化する。
児童生徒の自主性、自発性を大切にしてきた教師たちは、
そこから出発した。
いったいこの問題は何なのか。
どうしてこの問題が起こってきたのか。
彼らは知恵を集め、実践を交流した。
問題が起こるのは、子どもの中にあるものの表面化であり、
社会や家庭に起因するものが現れる。
問題が起こって当たり前、
問題が起こることによって、子どもの世界に潜んでいるものをとらえるのだ。
そこから子どもの内面へ向かっていくのだ。
問題の顕在化はむしろ歓迎すべきことだ。
それをどう乗り越え、解決していくか、
その方法や考え方を子どもの中に育てていくのだ。


問題から逃げず、問題を隠さない。
教師集団で、問題を共有し、みんなの課題にしていこう。
困難な状態や、トラブルが起こっても、
自分で抱え込み、自分はダメだと落ち込んでばかりいるな。
相談できる同僚や教育界の先輩教師に相談したり、
学校内や地域の学校集団に、
問題解決に向けての研究会を立ち上げることだ。


ただし、
モグラたたきみたいに、
問題だけをなんとかしようとしても、うまくいかない。
子ども一人ひとりの能力や可能性を引き出し、
個性や多様性を認め、
自律性、協調性のあるクラスを作っていくことをめざして、
担任の独創性を発揮し、実践を積み重ねていくなかから、
個別の問題が解決していく糸口が生まれてくる。
むしろあえて問題を引き起こす場合もある。
二学期になってゴタゴタが起こることを予想し、
それを乗り越えていったとき、子どももクラスもいちだん進んでいる。