晩秋
今日も朝霧が野を覆った。
日の出の時刻、
夜のかけらを残した空に、赤く染まった山々が浮かび上がる。
どこからか、夜の冷気をたっぷり吸った土からか、
湧き出てくる乳白色の朝霧に野や森は包まれ、
たちまち風景は消え去っていく。
半時ほどして霧の布団が薄れ始め、
朝日が射し、
浮かび上がってくる人家と田野のぼかしの美はたとえようもない。
霧の消えた後、庭の草木も小屋もしとど濡れている。
手袋をはめて濡れた材木をかかえ、筋交いの長さを測ってのこぎりで切る。
やっとガレージ兼納屋の柱も梁も立ち上げた。
長さ4メートル、太さ30センチはある重い間伐材の丸太4本を、
一人でどのようにして持ち上げ、柱の先端にはめ込むか、
夜中、レム睡眠の思考のなかで思いついた方法が、功を奏した。
既に立てて固定した柱の中段に、材木を横にくくりつけ、
そこに丸太の片方を抱え上げて載せ、
次にもう片一方を、反対側の置き場に上げる。
こうして順次持ち上げて、高さ2.5メートルはある柱の先端のほぞにはめ込んだ。
残るは屋根葺き。
雪が来るまでに建物を完成させなければならない。
今、山の紅葉はまっさかり、
一度北アルプスに訪れた新雪は、白馬連峰に残っているだけで、
北アルプス南部は雪渓を残してすぐ融けた。
今年安曇野には霜が未だ降りない。
おととい上高地を散策してきた。
島島から登る梓川沿いの見上げる山肌は、無限の彩り。
洋子と二人、河童橋から明神まで歩く。
落葉松の黄葉が吹く風に散り敷く。
落葉松の落ち葉を踏んで歩く感触はやわらかい。
紺碧の空に、星が見えそうだった。
梓川の清流は、昔と同じ光をため込んだ水。
五十年前、十代だったぼくは友と二人この道をはじめて歩き、
槍ヶ岳から穂高岳まで縦走した。
山には若者たちの熱気があふれていた。
涸沢カールに誰かが歌うヨーデルがこだまし、
ザイルを肩にテントを出発していく男たちの山靴が鳴った。
ぼくは、前穂高のどてっぺんの岩に腰掛け、
しばし広大無辺の天と地を眺めて、長い長いため息をついた。
あれから半世紀、
この日、あいさつを交わして行き交う山人の、
半分以上が高齢者だった。
嘉門次小屋は、昔の小屋に新しく付け足し、
岩魚の塩焼きを食べさせている。
今度は徳沢、横尾を経て、涸沢まで入ろう。
蒼天に突き出ているあの前穂高の稜線の、向こうの谷へ。