小布施で体験したこと


      小布施に行ってきた


信濃に小布施という町がある。
長野市より北にあり、志賀高原や野沢高原に近い。
秋晴れの一日、小布施の祭りに行ってきた。
リンゴ畑の道を通り抜けてたどりついたそこは、
古い家並みも残る美しい町だった。
歩行者天国の通りに、
地元の物産店、各地からやってきた工芸や趣味の店、
骨董市、江戸職人の店、
いろんな店が出ていてにぎわっていた。
町の要所要所の歩道には、栗の木の角材をさいころ形にして敷いてある。
これがまたいい感じだ。


「おぶせミュージアム・中島千波館」に入った。
中島千波の日本画を鑑賞して、特別展の「北斎」を観た。
これはもう感嘆のきわみだった。
北斎の浮世絵は画集などでこれまで観てきたし、
絵のいくつかはもう見慣れているような気がしていたが、
本物はまったく別物だった。
いかに複製技術や印刷技術が進歩しても、
本物はまったく別のもの、
知っているというのもニセモノを知っているということであり、
ニセモノの情報を知っているということだ。
それにもかかわらず人間はすぐ知っていると思ってしまう。
現物を知らず、真実を知らず、当事者を知らず、
どこかで聞いた人の話だけで知っていると思う。
どこかで読んだ記事だけで知っていると思う。
どこかで見た映像だけで知っていると思う。


江戸時代、これほどまでに完成された版画が作られていた。
絵の大きさは総じて小さい。
はがき二枚ぐらいの絵の、
人物の着物のがらまで微細に克明に描き、
遠景の抽象は完璧だ。
有名な「波裏の富士」もあった。


北斎の版画には、物語がある。
時間軸と空間軸が絵の中に広がっていて、
小さな絵の入り口から入っていくと、
その時代の人間の生活と自然のなかで自分も生きている感じがする。


ゴッホが日本にあこがれた理由も分かった気がした。
ゴッホが浮世絵にほれ込み、浮世絵をモデルにして絵を描いた。
あれはあこがれの表現だった。


この小布施の町には「北斎館」があり、その三十周年を記念して、
「高井鴻山記念館」と「おぶせミュージアム」の三館で
北斎特別展を開催していたのだった。


絵の鑑賞のあいま、休憩してロビーでリンゴジュースを飲んでいたら、
館の職員と雑談になり、話に花が咲いた。
定年退職後、ここで仕事をしている元教師のようであった。
彼は、饒舌だった。
長野県でもいま教育は大変だという。
何人もの先生がうつ病になって学校を休んでいるということだった。
小布施でも不登校の子が何人かいる。
進学のための教育への親の要求が学校に向かう。
歴史も人間も知らない、生活の中で暮らしを作ることのない子どもが大人になっていく。
農業の後継者も職人の後継者も、この町の後継者も、いずれいなくなるだろう、
どうなることかと慨嘆することしきりだった。


行なわれていた祭りは、
必死で町おこしを未来に向けてやろうとしている姿でもあった。


京都からやってきて、店を出していた陶芸家の、
赤絵の急須と湯のみが気に入って、
買って帰った。
見れど飽きない、味のある焼き物だった。