犬は敏感


         久しぶりの帰宅
                

お父ちゃんが今日、帰ってくるよ、と母ちゃんが言ったら、
ランはぴょーん、ぴょーんと飛び上がって喜んだ。
一箇月ぶりにぼくの帰宅することが、ランには分かる。
不思議に言葉にこめられた心が通じる。


夕方、特急列車に乗ってぼくは帰ってきた。
駅を降りて出たところに洋子の乗った迎えの車が止まっていて、
後部座席の開いた窓から、黒い影が激しく動いている。
数十人の降車客の中から、ランは一瞬にしてぼくの姿を見つけた。
窓から顔を出したランの、全身をくねらせて喜びを表現するのが、薄暗がりの中でも分かった。
ラーン! ぼくは呼ぶ。
窓越しに、ランはぼくをなめまわす。


帰宅してからも、ランの喜びは変わらない。
走り回り、ひざの上に飛び上がってくる。
後ろについてまわる。


もう、寝てきなさい。
母ちゃんがランに言う。
ランは眠くなるとひとりで階段を上がって、二階の廊下で眠る。
箱の上に置いてある毛布を自分でくわえて引っ張りおろし、
寝やすいように鼻でひろげる。
だが、今日のランは上がりかけたが、やはり未練があるらしい。
また居間に戻って来て、ぼくの前に寝そべる。


一箇月前、ぼくが単身赴任の仕事に出かける日、
ランは、ぼくの再びいなくなるのを察したらしく、動きが違った。
そわそわして落ち着かず、ぼくを見て、
ときどきウォーンを小さく鳴いた。
敏感に感じ取る能力がある。


リンゴを食べておいしいことを、ランは知っている。
居間でリンゴをむき始めると、ランは玄関にいても、
驚いたことに、家の外にいても、それを察する。
どう考えても、リンゴの香りがそこまで届いたとは考えられないが、
犬の嗅覚は人間の比ではない。
こちらを向いて、正座して一声吠える。
リンゴの一部や皮をくれと、催促するのだ。


犬は体験したことは忘れない。
食べたことのないものには、興味を示さない。
ぼくらがどんなにおいしいものを食べていても、
それを食べたことがなかったら知らん顔。
だが、一度食べたものは、
犬はそのかすかな匂いも味も覚えている。


夜のおやつは、だしじゃこ。
味噌汁などで一度だしをとった煮干、
煮出した後だから脂が抜けていて、いいおやつになる。
これをランにやろうと思ったときには、
瞬時に察して正座する。
数匹ずつ、てのひらに載せて、ランの鼻づらに持っていく。
ランは食べないでこちらの眼をじっと見る。
視線を合わせるアイコンタクト。
よし、
ランの舌と前歯が煮干をすくいとっていく。


一箇月見ないと、なんか犬相が変わったみたい。