犬にも意志がある


        ランの意志表現


午前5時前、日輪が東の山から姿を現す。
窓の外が明るくなると、ランは起き上がり、とことこ軽い足音を立てて部屋に入ってきて、
僕の寝床に近づき、足をぺろっとなめ、ベッドの真横に来ると鼻を僕の体に押し付けてくる。
「朝だよ、起きて散歩に行こうよ」
少し早い時は、ランの頭をなでながら、
「まだだよ。待っていなさい」
そう応えると、ランは、また廊下に戻り、床に寝そべって、こちらの起きるのを待っている。
散歩中に、ランは必ずウンチとオシッコをする。
ウンチは持って帰ることにしているから、僕はそれ用の袋と古新聞紙を用意して持っていく。
もうひとつ散歩用に持っていくものがある。
1cmほどの長さに切ってある細い小さなおやつのかけらだ。
ポケットに十数個それを入れて、時々「おりこう」のごほうびにそれを与える。
ところが、ランは、ウォーキングの途中に思い出すとそれを催促して、
軽くジャンプして鼻でツンと、僕の左手の甲をつつく。
催促されたら、1個プレゼントだ。
このごろ何度もおねだりすることが多くなった。


散歩から帰ってくると6時を回っている。
朝食に作って飲む野菜ジュースに入れる小松菜を庭の菜園でとり、トマトを収穫し、
ついでにラディッシュの葉っぱを2枚つんで、ミニトマト2個と一緒にランにやる。
ランはこれを待っている。
すでに朝ごはんを食べた後の、デザートだ。
何よりのランの好物は、僕らが飲むジュースに入れるリンゴの薄く切ったかけら。
これがほしいから、ランはワンと一声吠えて催促する。


昼間は外で過ごす。
太陽が上がってきて、ランのいるところに直射日光があたるようになると、
暑くてハアハア息を弾ませたランは、
一声吠える。
「場所を変えてよ」。
そこでまた移動。


昼間の退屈なとき、
庭に出た僕を見ると、待ってましたとばかり、
「遊ぼうよ」と一声吠える。
古靴をくわえて、投げろ、と催促する。
投げた靴を飛び上がって空中でくわえ、
飛んでいった靴をダッシュして取りにいき、
5、60回ほど投げると、終わる。
ランは、まだまだやりたいと催促するが、いつまでも付き合っていられない。


遊びたい靴がない、
こんなときは長い木の枝をくわえてきて、
僕に枝の一端を持てと言う。
僕が枝を持つを、ランは別の部分をくわえて、猛烈な力で引っ張る。
くわえて引っ張るためには、その棒が口からはずれないように強力な歯で噛まないといけないから、
何度もくわえなおす。
両足をふんばって引っ張る力は、体重21キロ余りの犬にしては、驚くほどの強さだ。
2本足の僕は引っ張られそうになる。
あるとき、玄関にすわっている僕に、ランは棒をくわえて持って来ようとした。
玄関の戸は少し犬が入れるぐらいの幅しか開いていない。
真ん中をくわえた1メートルほどの長さの木の枝は、戸にぶつかって中に入れない。
どうするかな。見ていたら、ランは頭をねじって、棒を縦にして戸の隙間から家の中に入れられるように試行錯誤をしている。
しかし、枝がひっかかってうまくいかなかった。
失敗したが、犬には失敗とか成功とかの観念はない。


夕方の散歩は、水浴びができる。
このあたり、いたるところに水路があり、山からの清流が田んぼをうるおしている。
いちばん澄んだ水の流れるところに行くと、ランは前足を水に入れ、
水深を探るようにして飛び込む。何度も入っているところはよく知っているから、いきなり飛び込む。

畑で作業をしている人が、1頭の柴系の犬を連れてきていた。
犬は、リードもなく、主人の近くに行儀よく座っている。
畑の中にいたので、犬の足は土に汚れていた。
畑から帰ろうとした飼い主は犬に、
「みず」
と小声で言った。
すると、犬は畑の近くの水路に行き、中に入って流水のなかに立った。
しばらくそうして足を洗い、先を行く主人を追った。
「みず」と言われたら足を洗う、どの程度訓練したのか分からないが、このことが犬の頭に入っている。


訓練で指示された一定の動作ができるようになるのと、
訓練とは関係なく、自分の意志で動く場合とがある。
犬にも自分の意志があり、
やりたいと思う気持ちの強いときがある。
そのとき、犬は率直に飼い主に主張する。
言葉がないから、吠える声、鳴き声など、いくつかの声の手段をつかいわける。
主張するときの彼らは、一生懸命だ。
わずか1時間ほどの外出から帰ってきただけなのに、
全身で喜びを表し、スキンシップしてくる。
どうしてこんなにとあきれるほど、率直に愛情をぶつけてくる。