桃子ちゃんのこと


          つづいて考えました


桃子ちゃんのことで、いろいろコメントありがとうございます。
考えるいい材料になりました。
もっと意見を出し合えたらいいな、と思います。
私はこんなことを考えました。


桃子ちゃんは先生に頼まれたことをしませんでした。
すると、引きうけたことは守るべきであり、
守らせることは教育指導の一つとして大切であるという
指導観が出てくるでしょう。


それに対して、
桃子の主体から考えます。
桃子が、
先生の依頼したとおりにやることは、ほんとうにいいことだろうか、
と考えたとしたら、
その通りにしなければならないことなのだろうか。
先生の願望は、出張中のクラスが、
勝手気ままな、無法状態にならないようにと、
秩序・規律を守らせたいというところにあったと思います。
桃子は家族で話し合って、
先生の依頼を変化させ、
先生の依頼よりもこっちの方がクラスにとっていい、
というアイデアを考えました。
騒いだ子の名前を書いて報告する、
これはいわゆる「告げ口」に通じます。
子どもにとっては、抵抗のある行為です。
それをクラスのみんなに内緒で行うことになります。
クラスづくりのうえでは、
対立の種になるかもしれないこと、
桃子疎外の原因にもなりかねません。


クラスで、子どもは、
「先生に合わせていく」ことと、
「子ども同士のつながりに合わせていく」ことと、
二つの力の中で生活しています。
後者の、友だちに同調していく圧力は強いものがあります。
同調しなければならない、しかし同調できない、
その葛藤が大きなストレスになることもあります。
子どもの中の力の動き方で、
子どもは孤立してしまうこともあります。


そのようなことも考えて、見通しを持って指導していく、
それが担任教師には必要です。


桃子ちゃんが、家族で出したアイデアは、
先生の依頼がもたらすであろう問題を
突き抜けていくものになるかもしれない。
先生が出張していた間のことが、
自分たちで自分たちのクラスを作っていくという方向に、
クラスを向かわせるチャンスをもたらすかもしれない、
それを考えてクラスづくりを、していくこと、
それが教師の持つべき指導観であり、見通しであると思うのです。