ゴッホと宮柊二(みやしゅうじ)


       歌集「山西省」の歌


  耳を切りしヴァン・ゴッホを思ひ孤独を思ひ
  戦争と個人をおもひて眠らず


この歌は、1941年(昭和16)、柊二が山西省大原の北の小都市、
原平鎮の野戦病院に入院していたときに作っている。
発表されたのは、戦後昭和21年。


入院中の柊二のもとに日本から、
ステファン・ポラチェック作、式場隆三郎訳の
「焔と色」が送られてくる。
そのゴッホの伝記を読みながら、
柊二は自分自身と向き合い、戦争の本質を考えるひとときを持った。


アルルに移るまでのゴッホは、
数々の裏切り、人々からの排斥にあって、
深く傷ついていた。
アルルに移り住んでからのゴッホは、
明るい太陽の下で制作意欲を燃やし、
友人ゴーギャンを迎えて、一緒に暮らしながら絵を描いた。
しかし、ゴーギャンには彼独自の絵についての考えがあり、
ゴッホにはゴッホの考えがあった。
二人の関係は摩擦をはらみ、衝突も起こった。


なぜそういう行為をしたのか、
説はいろいろある。
最初の発作だとも言われている。
ゴーギャンとの葛藤も考えられる。
ゴッホは、ゴーギャンのいないときに、
カミソリで左の耳を切り落としたのだ。


歌人の高野公彦は、「鑑賞現代短歌五 宮柊二」(本阿弥書店)のなかで、
こう書いている。


「『焔と色』を読んだ後で、(柊二が)われに返ったとき、
潮のようによみがえってきた思いは、
千万の個人をすでに人格者もしくは人間、
または意志者などとして取り扱わない戦争というものが持つ、
凄惨に近い大きな孤独であった。」


「芸術家としてのゴッホの矜持と孤独。
また戦争という巨大な渦の中で、
『人格』『人間性』『意志』を奪われてゆく個々の兵士たちの孤独。
その相似性に気づいた地点で、この歌は生まれた。」


ぼくは昔、滝沢修の演じる「炎の人 ゴッホ」を観たことがある。
自分の耳を切る場面の狂気と孤独を、
滝沢は迫真の演技で演じきった。


戦争にかり出された兵士たちは、
戦争がなければ、心優しい男たちであった。
正義感のある、優しい、誇り高き男たちが、何故に、
戦闘集団に組み込まれた途端、人格を失っていったか。
大号令をかけられた大集団が動き出すとき、
個人の思考も行動も感情も、集団のひとつの意志に統一され、
共同の幻想に向かって突き進む兵器となった。


入院によってひととき我に返ることが出来たとき、
柊二は、人間としての自分をとらえた、深い孤独と虚無の中で。


九月二日、
今朝、すがすがしい秋の空を、小鳥の群れが旋回していた。
あたかもひとつの意志を持っているかのように、
群れは一体になって空を飛ぶ。
彼らは群れることで共に生きのびていく。
すなわち動物の知恵。


人間は生きていくために社会を作る。
そして国家を作る。
すなわち人間の知恵。
だが、人間が集団をつくり、個人が我を忘れるとき、
しばしば狂気をはらむ。


アルルの、耳を切ったゴッホは、危険人物として病院の独房に閉じこめられた。
ゴッホは、アルルの住民たちのことをこう呼んだという。
「善良なアルル市の、人食い人種の良民」