人間の街


      オリンピックがやってくる


「子どもたちはひらひらと飛び回り、いくつもの門をくぐり、
縦横に曲がりくねった道を駆けぬけて遊んだ。……」
映画「胡同(フートン)のひまわり」のチャン・アン原案の一節。


四合院には常に子どもたちの声があふれていた。
中庭を囲むようにして、
東西南北に棟が並ぶこの伝統家屋は、
長い年月が経つうちに何家族もが共同で住まう、
いわゆる長屋へと変化していった。
起源は元の時代にさかのぼるという胡同(フートン)には、
こうした四合院が延々と軒を連ねるようにして、
ひしめきあっている。
表戸は常に開け放たれ、
各家々の暮らしぶりは一目瞭然。」(チャン・アン  酒井紀子訳)


この伝統的な北京の庶民の住宅群・胡同は、
急ピッチで姿を消しつつある。
昨年、ぼくは北京の通州の研修所と青島で教えていた。
北京のはずれにも、胡同があった。
デパートに行くとき、ぼくはバス通りを歩かず、
わざわざ裏の胡同の路地を抜けていった。
柳のわたが雪のように降ってくる路地を吹いていく風は、
風雪にさらされてきた煉瓦塀や傷だらけの木の門の香りをはらみ、
胡同はおのずから芸術品のようであった。


それがある日、住民の立ち退きがあり、
解体が始まった。
崩された胡同は、古煉瓦の山となった。


北京オリンピックに向けて、街はみるみる変わっていく。
昔からの庶民の生活の場は、各戸が隔たる高層住宅になっていく。
狭く不便で、プライバシーが守られなかった伝統的住宅街は消えていく運命かもしれないが、
消えていくもののなかに、消してはならないものも、含まれている。


人間は、進歩しながら大切なものを置き忘れていくようだ。


日本のJOCは2016年のオリンピック候補地に、東京を指名した。
日本の都市もまた、人間疎外の道を歩んできた。
オリンピックを開催するということは、
単に競技をするということではない。
50年、100年後を見据えた、
人間の街をつくるという営みの中に、
オリンピックは位置づけられなければならないと思う。